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<授業のはなし> 二隻の舟

火曜日のリーダーシップの授業は、だいたい先生の「さあ、今日はどこから始めようか?」という一声で始まります。そこで最初になされる問題提起でその日の話題の方向性が決まっていくことが多いのですが、今日は50代後半くらいのミッドキャリアのアメリカ人女性による以下の質問から始まりました。

「男性から見て、女性が野心(ambitions)を持つことについてどう思いますか?」

今週のテーマは "Staying Alive"、日本語に訳すと「自分を持ち続けること」と言えるかと思います。加えて利他主義(altruism)、犠牲(sacrifice)といった副次的テーマもありました。彼女の問題提起は、今週のリーディングで女性が今まで求められてきた社会的・家庭的役割に関する内容があったこと関連すると思います。いろいろな方向に議論が流れていきましたが、あるアメリカ人男性の一言に私は思わず発言したくなりました。

「以前付き合っていた女性は戦場カメラマンで、イラク戦争の現場に出たりと文字通り命を懸けて仕事をしていた。付き合っていくうちに結婚を含め将来のことを話し合うようになったが、彼女がこの仕事を続けていくのなら僕の子供の母親として適当だろうか…という気持ちになった。」

戦場カメラマンという仕事は極端な例としても、この一言は私の心にグサッときました。私は思わず次のように発言しようかと思いましたが、今日は今朝締め切りだった統計学の宿題でエネルギーをかなり吸い取られていたこともあり発言するに至りませんでした。この授業で効果的な発言をするのには非常にエネルギーがいります。以前にも書きましたが、120人近くの学生がいる中、手を挙げて発言権を得るのではなくうまく話と話の間に入り込んでいかなければならないからです。最近は皆が沈黙を共有すること(embrace silence)を覚えてきたとはいえ、それはそれでその沈黙に割り入るのはなかなか大変なことです。

「彼の発言を聞いて、舟と港の関係を連想しました。ああ、彼は港の役割を彼女に望んでいたんだな、と。男女関係はお互いが舟でも成り立つかもしれませんが、子供を持つことを考えるとどちらかが港の役割をすることになるのは仕方のないことだと思います。従って彼の言うことにも納得がいきます。(もっと言うと、舟と舟は海で出会うことはできますが、港と港が出会うことはありません。)しかし私は正直言って辛いです。とっても辛いです。」

そんなことを考えていたら、空母という言葉を思い出しました。戦闘機を搭載する大型艦船のことを日本語ではなぜか空母といいます。空母は英語だと単なる "aircraft carrier" ですし、今まで出てきた有名な空母だってインディペンデンス・キティホーク・アブラハムリンカーンといった、母性的イメージとは無関係な名前がついています。なぜ日本語だと母なのでしょうか。「海」という漢字も旧字には「母」の文字が入っています。他にも「母なる大地」「母音」といったフレーズからも連想されるように、日本語では「母」=「安定的・土台の部分」といったイメージがあるような気がします。

ある人が野心を持つ傾向があるかどうかは、根本的には自分の性別と関係なく単なるその人個人の性格の問題だと思っています。しかし物理的にあちこち移動する生活をしていると、確かに港の役割を果たすのは難しいかもしれません。仮に野心の内容が「自分の店(何屋さんでもいいのですが)を地域一番の店にする」といった、おそらくあまり移動を伴わないであろう野心であれば両立も可能かもしれません。しかし「世界を股にかけて仕事をする」といった野心であれば、その野心に基づいて行動している限りその人は自分が港を求める立場になると思います。同じ人が一生舟あるいは港の役割を演じ続ける必要はないと思いますが…。

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もちろん、こういったジェンダー問題について私もいろいろ思うところはあります。しかし今日はこの話題に少し疲れていました。「構ってほしいけどほっといて」という気持ちに近いかもしれません。帰宅後、久々に家にあった中島みゆきのCDを引っ張り出してきて、「二隻の舟」をひとりヘビーローテーションしていました。こういうときにこの歌を聴くと泣けます。本当に泣けます。今日も私は心の中で泣いていました。(ご存知のない方でご興味のある方は、是非「二隻の舟」で歌詞を検索してみてください。)
by coast_starlight | 2006-12-06 12:32 | 授業のはなし


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