<授業のはなし> 統計学試験勉強中に言語能力について考える

秋学期の授業は12月中旬で終わり、その後テスト期間に入りました。テスト期間といっても学校で行われる筆記試験は経済学や統計学といった一部の科目にとどまり、ほとんどの科目では持ち帰り試験(take-home exam)です。日本風に言うと期末レポートといったところでしょうか。授業期間中に全てが終わってしまう科目もあります。私の場合今学期は筆記試験が1つ、持ち帰り試験が2つです。今もその持ち帰り試験の一つが残っていて、金曜日までに提出しなければならないため鋭意取り組み中です。(少し前の話になりますが)統計学の筆記試験が12月15日にあったのですが、試験勉強をしながらあれこれ考え事をしてしまいました。

この統計学の試験の特徴は、計算そのものよりも書かせる問題が多いということです。計算・解析結果をもとにし「頭は良いが統計学の専門知識のないボス(政策担当者)に対する提言を書きなさい」といった感じで、専門用語を使わず文章で説明させる言語化能力が問われる問題が必ず出ます。専門的な話を専門用語を使わないで説明するということは、本質をわかってないとできないことなのでかえって難しいような気がします。数式の説明に逃げることができないというのはある意味大変です。それに加えて英語で書かなければいけないということもあります。ただ英語のほうが言語の構成上スッキリと書きやすいこともあり、場合によっては日本語よりも実は楽かもしれないと思うこともあります。

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ところで留学して英語漬けの生活をしていて痛切に感じるのは、いかに日本語と英語の相性が悪いかということです。文字・文法・言い回し…何から何まで見事なまでに違うと思います。学校には英語が母国語でない学生は多くいますが、母国語がフランス語・スペイン語など英語と同じロマンス語系統の人は日本人と比べてそれだけで大きなアドバンテージです。ドイツ語などのゲルマン語も近いかもしれません。これらの言語を母国語とする人たちは、割と英語もうまいような気がします。一方日本語はトルコ語やウイグル語と同じアルタイ語族であるという説もあるものの語源はわかっておらず、世界のあらゆる言語の中でも非常に特殊な言語であるようです。単純に見て、表音文字(ひらがな・カタカナ)と表意文字(漢字)の両方を使い分けるほぼ唯一の言語である点からしても特殊だと思います。韓国語にも漢字はありますが、日常生活ではあまり使わないようです。

環境の面でいうと、例えばケネディスクールには発展途上国からの学生も多いのですが、彼ら(本国ではエリート層)は多くの場合海外で高等教育を受けていたり、本国で大学に通っていたとしても現地語では高等教育が受けられない(教材などのリソースがない)ため比較的小さい頃から英語やフランス語で教育を受けている場合が多いようです。植民地化の歴史も影響していると思います。一方、日本の場合日本語で多くの専門書が手に入りますし、博士課程まで終わらせることだって可能です。日常生活で英語をあまり使う機会がないだけでなく高等教育を受けるにあたっても、外国語を勉強しなければならないプレッシャーはあまり強くないような気がします。

そんな訳で私がいつも悲しくなるのは、「義務教育で2000字近い漢字や四字熟語、慣用表現などを苦労して勉強したのに(しかも最後のほうは日本で教育を受けていないから自分で勉強したのに)、自分の国でしか使えないだけでなく多言語に応用がきかないなんて…」という日本語の汎用性のなさおよびエネルギー効率の悪さです。悲しくてもどうにもならないだけに、自分の気持ちに折り合いをつけるのがなおさら苦しくなります(少し大げさかも)。メリットといえば、辛うじて中国語で書いてあることが何となくわかるくらいでしょうか…。また、留学から帰って日本で働くようになれば日本人としてネイティブレベルの日本語を期待されるので(ある意味当たり前ですが)これらの使い方を少しでも間違えたら恥ずかしさ倍増です。ところで、以前両親から送られてきた郵便物の中に、安倍総理に対して「旗幟(キシ)を鮮明になさって」と言うべきところを「キショクを…」と間違えて言ってしまったある女性閣僚の話を書いた新聞記事が入っていました。記事だけが入っていたので何ともいえないのですが、推測するに「日本語もおろそかにするな」という親からのメッセージだったのだと思います。でも私は「知ったかぶりをするな」という意味だと拡大解釈し自分を精神的に追い詰めないようにしているつもりです(ウソ)。うろ覚えの表現は、使わなければいいだけのことです。たぶん女性閣僚がその状況で少し難しめ(?)の表現を使わなければならない必然性は、なかったと思います。

従ってもし日本人に生まれていなかったら、おそらくこんな難しくてなおかつ汎用性のない言語をわざわざ勉強しようとは思わなかったと思います。それほど日本語は難しいと思います。仮に私が将来日本人以外の男性と結婚、あるいは日本人と結婚しても海外で住むことにして子供ができたとしたら、「日本語は日常会話だけで十分」と割り切ってあまり難しい日本語はやらなくてもいいよ、と言うかもしれません。もっとも、彼/彼女が将来アイデンティティーの問題に直面して日本語を本気でやりたいと思う可能性もあるでしょうから、その時を考えて日常会話くらいは普通にできるようにさせると思います。ソポンも同じようなことを言っていたし(以前の記事を参照ください)、そのエネルギーを英語や他の汎用性の高い言語の習得に注いだほうがいいのではないか、と本気で思うようになりました。もっとも、日本人と結婚して日本に住めば普通にネイティブとして日本語を習得させると思いますが…。にもかかわらず日本語を勉強したいという人、また日本語を実際に勉強しているという人の多さには驚きます。日本語を外国語としてやりたい人の多くは、日本の文化や社会そのものに関心が高い人が多いと思います。

ケネディスクールの学生には3ヶ国語以上できる人も珍しくないですが、日本人学生には3ヶ国語以上できる人はほとんどいません。だって、英語だけで精一杯だもん…。と思いつつ悔しいから今月は「フランス語強化月間」一人キャンペーン実施中で、フランス語学習に励んでいます。フランス語は昔からやっているもののいくらやってもうまくならず自分でもイヤになってくるくらいなのですが、こちらに来てから昨年は秋・春学期とフランス語の授業を学部の校舎でとったりと少しやる気をだしてがんばっています。「ヨーロッパの仕事をするならやっぱり英語とフランス語でしょ」という単純な動機から始めたものの、仕事で使えるレベルになるにはまだまだ道のりは長いようです。語学そのものだけでなく全体的な言語能力の向上という別の目的もあるのですが、そちらのほうは少しは達成できているかな…?
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by coast_starlight | 2007-01-10 06:29 | 授業のはなし


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