<考え方> 自分の行動に潜む価値観を分析する

帰国の飛行機のなかで一問思いついたので書きます。とっても小さい出来事をくどくどと分析していて「ヒマ人だなー」と思われるかもしれませんが、この中から何か気づきを得て頂ければ幸いです。


<例題> 冷凍庫に余った塩鮭

家を引き払う当日、その日まで使っていた日用品や冷蔵庫・冷凍庫に残っていた食材は可能な限りムービングセールに来られた方や知り合いの方にタダで譲りました…というか、もらって頂きました。しかし、うっかり冷凍庫の奥のほうに塩鮭2切れが残っているのに気づきました。これは日本食スーパーで買った、2切れで5ドル近くもする貴重な食材です。でももう誰もあげる相手がいないよー、どうしよう…。そこで私は次のような方法を思いつきました。

家を引き払った後、知り合いのおじさんにアパートからホテルまで送ってもらうことになっていました。その際、同じ日に帰国する予定だった私の友人も同乗し、彼女と共にホテルに移動することになっていたのですが、彼女がアパートを引き払うのは私よりも一日後でした。そのため私は彼女のアパートに到着したとき塩鮭だけを持って彼女の部屋に行き(想像するとかなり滑稽かも)、彼女を迎えに行くとともに「ねぇ、そっちの冷凍庫にこの塩鮭入れておいてくれない?ムービングセールか何かで部屋に来る人まだいるでしょ、その人にあげてもらえるかなぁ?」とお願いしました。

さて問題です。どうして私はここまでして塩鮭を捨てずに持ち続けたのでしょうか?もしあなたが同じ立場に立ったらどういう行動をとりますか?それはどうしてですか?

ちなみに塩鮭は友人によると無事同じアパートの日本人の方にもらわれていったそうです。めでたしめでたし。


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これ「もったいないと思ったから」の一言で済ませちゃダメですよ。それでは分析が足りません。単にそれだけでは「他に引越しで捨てたモノはたくさんあるのになぜこの塩鮭は捨てられなかったか」を説明できません。また、最悪知り合いのおじさんにあげるという「解決法」もあったのですが、このおじさんは日本人ではないためおそらくもらってもどう食べていいかわからなかったと思います。私は塩鮭を塩鮭らしく食べてもらいたかったため(もっと大げさに言うと、塩鮭になるという運命をたどったこの鮭の本分を全うしてもらいたかったため)あえて日本人にこだわりました。

「もったいないと思ったから」をもう一歩踏み込んで分析すると「塩鮭を捨てている自分の存在を認めることができなかったから」だと思います。ポイントは「もったいない」という考えを「当たり前じゃない」とか「常識でしょ」という一言で済ませないことです。私以外の人が同じ状況に陥ったとき皆同じような行動をとるとは思えません。引越しというある意味時間的制約の多い切羽詰った状況の下では、何も考えずに捨てる人も多いかもしれません。引越しの時は多くのものを(結果として)捨てる羽目になるので、毎回罪悪感にさいなまれます。私が上に書いた行動をとったのは、その自分の罪悪感を少しでも軽減したいという自分の気持ちの表れだと私は解釈しました。塩鮭のためではなく、私のためなのです。もっとも、誰かにもらわれてはいきましたが、無事最後まで見届けた訳ではありません。その人が「う~ん、やっぱりいらない」といって捨ててしまう可能性だって否定できません。でも私はベストを尽くしました。

では、他にたくさんのモノを捨てたのになぜ塩鮭はここまで大事に扱われたのでしょうか。冷凍食品だから傷みやすいし扱いも面倒です。それにこだわるヒマがあったらさっさと捨てて塩鮭のことは忘れてしまって引越し作業そのものをしたほうが、「引越しを済ませる」という目的のためには良かったかもしれません。しかし私には別の「引越しの際に毎回感じる『まだ使える/食べられるものを捨てなければならない罪悪感』を最小限にしたい」という目的があり、罪悪感を感じてしまう自分がいる以上これはそれなりに優先順位の高いことだったのだと思います。この目的を果たすことは、私という人物の一貫性を保つために重要なことでもあります。

あとは、子供の頃から「食べ物を粗末にしてはいけません」と半ば刷り込みのように教えられていることも潜在意識に影響しているかもしれません。アメリカ生活が長いと、食べ物を捨てている場に遭遇することが多いんだ、これが。レストランで食事を注文すると出てくる量が多いこともあるし、余ったものを持ち帰ることが可能で実際持ち帰っている人もいますが、残している人も結構多いです。多くの残飯を見るのは心が痛みます。

私が小さい頃、夕食のトンカツやコロッケについてくる千切りキャベツを「食べる」と言って出してもらって残すとそれが次の日の朝ごはんに炒めて出てきて、それでも食べ切らないと「じゃあ捨てるしかないね。キャベツさんに謝りなさい。」とか母親に言われて「キャベツさんごめんなさい…」と言いながらキャベツを捨てた記憶があります。他にも小さい頃はいろいろなことを経験していると思うのですが、なぜかこの記憶はかなり鮮明に残っています。そのせいか食材にも魂があると思ってしまうようで、塩鮭を捨てられなかったのはこういう幼少時の原体験があるからかもしれません。

小学校の頃確か国語の教科書に「鮭の一生」という話がありました。鮭は約2000個の卵を産むそうですが、稚魚になり川を下り遠洋に旅立ち、再び同じ川に戻ってきて産卵までに至るのはわずか2~3匹なのだそうです。他の鮭たちはそれまでに他の生き物に食べられてしまったり、我々人間によって捕られてしまうのです。この塩鮭もおそらく遠洋で漁師さんによって捕まえられたため、残念ながらその2~3匹にはなれなかった鮭なのです。…こんなことを考えていたら、やっぱり捨てられませんよね。

塩鮭のことを考えるだけでこんなにヒマがつぶせるなんて、ひょっとして私って天才かも…と思ったか思っていないかは皆様のご想像にお任せします。


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昨日午後無事成田空港に到着し、今は水道橋のホテルに滞在しています。今日からもとの職場に戻ります。かなり浦島太郎状態になっているんだろうな…。
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by coast_starlight | 2007-07-02 07:30 | 考え方


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