2006年 10月 19日 ( 2 )

<授業のはなし> ジョセフ・ナイ教授に会いに行く

現在履修中の国際関係論入門の授業も終盤に入り、今日の授業では情報革命と国際関係の見方の変化について議論しました。情報革命がもたらしたものは、膨大な量の情報が極めて低コスト(場合によってはほとんどタダ)で手に入るようになったことであり、それが新たな力関係を作り上げているという話でした。多国籍企業やNGOが国際関係を語る上で大きな地位を占めるようになり、インターネットがマス対マスのコミュニケーションを可能にした現状では、国際関係を単なる国対国(政府対政府)の問題としてだけでは語れなくなってきています。それにしても授業の中で先生がグーグルアースやユーチューブの話をされたのには驚きました。残念なのは、この授業は半期なので来週で終わってしまうということです。読むべき教材の量は非常に多いですが、今までに体系的に学んだことのない分野なので毎回の授業が新鮮に感じられ、履修して良かったと本当に思っています。


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a0079741_1365915.jpgところで各授業にはオフィスアワーというものがあり、この時間帯(毎週2時間くらい…授業による)は学生が教授に個別に質問しに行けるようになっています。私も今ナイ教授の授業をとっているので、今月末にその授業が終わるまでに一度は行こうと決意し、予約をとった上で先週行ってきました。午後の約15分間、ナイ教授を独り占めした時に話した内容を一部再現したいと思います。ナイ教授と直接話すとなると多分緊張するだろうな…と思って(緊張しました)あらかじめ質問したいと思っていた内容を紙に書いて行き、それを確認しながらメモをとっていたので、何だかインタビューをしている気分でした。

「先生に質問があります。この授業で習ったことを目に見える形で(in a tangible way)実感するにはどうすればいいでしょうか?なぜこのような質問をするかというと、おそらく私が日本人であることが関係していると思います。というのも、日本人は目に見えるものに価値を置くというか、目に見えないサービスなどをそれ自体で評価してお金を出すという文化があまりできていないと思うからです。例えば日本にはチップの習慣はなく、サービスは飲食そのものの値段に入っているという考え方です。また、私が日本で働いていた頃、営業の人から「国内案件では設計料・技術料という名目でお金を請求しにくい。だからその分を製品の値段に上乗せして請求しないとお金がとれない。』と聞いたことがあります。何ていうんでしょう、目に見える形のものに信頼をおく傾向があり、自分もそこから抜け出せないでいるようなのです。授業ではリアリズム・リベラリズムとか国際関係の理論を学んでいますが、これらを学んだ成果を目に見える形で実感するのにてこずっている自分がいるのです。」

「その考え方は面白い。しかし日本にも茶の湯や生け花といったintangibleな素晴らしい文化があるではないか…それはそうと、この授業で学んで欲しいのは、人々が持っているさまざまな前提条件・仮説(assumptions)を理解する(appreciate)ことなんだよ。例えば北朝鮮の核実験を受けて、今後日本は核武装化の方向に向かうかどうかという議論を(日本を外から見る立場の人が)する場合、その議論の下地となる考え方が議論する人の立場によって違うわけだ。リアリズム的考え方だとこうなる、リベラリスト的考え方だとこうなるとか、その違いをわかった上で議論をすることが、複雑な問題を考える上で大事なのだよ。だから理論を学ぶ必要があるわけだ。また(理論を学ぶことにより得られる)知識・経験に基づいた直感(educated intuition)を養うことにより物事が見えてくるようになる。」

「なるほど。おっしゃったことを踏まえると、理論はそれに加えて、予測が不可能な未来の出来事に対する意思決定を正統化(legitimize)することへの手助けになるということとも言えると思います。以前民間企業で海外案件に関わっていた時、政治リスクはどうしようもないという考えでいたのですが、こういうことを勉強すれば政治リスクを理解するのに役立つような気がしました。」

どうやら私の学習の成果が上記で質問したような「目に見える形で」実感できるようになるにはまだ時間がかかりそうですが、おぼろげながらも国際関係論を学習することの意味が見えてきたような気がしました。


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私が今回の会話でナイ教授の根底に感じたのは、多様な価値観を尊重しなければならないという思想です。専門分野でのご活躍だけでなく、世界各国からあらゆる背景の人が学びに来るここケネディスクールで長年学校長を務められたことも関係しているかもしれません。私のいわゆる「ナイーブな」質問にも、私が国際政治とは全く関係ない分野から来ていることや日本人であるということからくる考え方や視点の違いを考慮した上で真摯に答えて下さる姿勢を感じ、大変感動しました。

せっかくの記念だから…ということでサインをもらうことを忘れませんでした。サインは私だけのものですから、本の表紙だけで勘弁してください。
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※注:あくまで私はナイ教授が上記の旨のことをおっしゃったと理解しているということであり、実際一字一句その通りにおっしゃったわけではありません。従ってくれぐれも何かに引用されることのないようお願い致します。
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by coast_starlight | 2006-10-19 13:12 | 授業のはなし

<日々の出来事> Eat to Live or Live to Eat?

私はよく友人知人にこんなことを言います。

"There are two types of people - people who eat to live and people who live to eat. I think I am the latter."
「世の中には、生きるために食べる人と食べるために生きる人の2タイプがいると思うんだ。私は後者だと思っているんだけど。」

食べることは生命維持のために不可欠な行為です。したがって"eat to live"の考え方はある意味正しいと思います。でもこれだと食べている(→消化している)のはまさに食材だけで、動物がエサを食べるのとあまり変わらないと思います。それに、"to live"=「生命維持」だけでしょうか?その場の雰囲気や一緒に食べる相手は、食生活を精神的に豊かにするために重要な要素だと思います。最高級の食材を使った料理でも、嫌いな人と一緒に食べる食事は、胃袋を満たしてはくれますがあまりおいしく感じられないと思いませんか?食材だけでなく食事の場全体を含めた食生活に向上心を持つ(live to eat)ことは、人生を豊かにし心身ともに健康にいるために重要だと思います。一人暮らしをしていると普段家で食べる食事は一人でしますが、たまに一緒に食べて楽しいと思える友人知人を持っておかないと日々の食生活が精神的に貧相になってしまうと切に感じます。また年を経るにつれ自分が一緒に食事したいと思う相手と都合をつけるのが難しくなり、またそういう人に限って特に忙しかったりするので、人と食べに行く機会が減ってしまうなーと感じています。そのため各種イベント(懇親会/食事つき)に参加したりするのですが、なかなか初対面の人と何を話していいかわからずかえって気疲れしたり…難しいものです。もっとも初対面の人と打ち解けるもっとも手っ取り早い方法は一緒に食事することだと思うので、その重要性は十分認識しているつもりなのですが。

冒頭で人は"eat to live"と"live to eat"の2タイプに分かれると言っていますが、実際は状況によって両方あり得るのでは…とも思います。(私の場合は後者がメインであり、そうありたいと思っているということです。)家で一人で食事するときも、たまにはちゃんと準備して食べるようにしないと"eat to live"状態になるので、少しでも"live to eat"を実践するよう心がけたいところですが、忙しいとそうもいかなくて…。そんなわけである程度頭を使った手抜き料理(石焼ビビンバもその一つ)を何品かレパートリーとして持っておくことが大事だと思います。


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今ふと思いついたのですが、eat→drinkに変えるとどうなると思いますか?食事と違って飲み(アルコール)は別になくても生物学的にいう生命維持は可能ですよね?「いや、僕/私にとっては生命維持のために不可欠だからdrink to liveなんだ!」という人もいるかもしれませんね。実際のところどうなんでしょう?わかる方は是非教えて下さい。
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by coast_starlight | 2006-10-19 08:43 | 日々の出来事