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<考え方> 自分の行動に潜む価値観を分析する

帰国の飛行機のなかで一問思いついたので書きます。とっても小さい出来事をくどくどと分析していて「ヒマ人だなー」と思われるかもしれませんが、この中から何か気づきを得て頂ければ幸いです。


<例題> 冷凍庫に余った塩鮭

家を引き払う当日、その日まで使っていた日用品や冷蔵庫・冷凍庫に残っていた食材は可能な限りムービングセールに来られた方や知り合いの方にタダで譲りました…というか、もらって頂きました。しかし、うっかり冷凍庫の奥のほうに塩鮭2切れが残っているのに気づきました。これは日本食スーパーで買った、2切れで5ドル近くもする貴重な食材です。でももう誰もあげる相手がいないよー、どうしよう…。そこで私は次のような方法を思いつきました。

家を引き払った後、知り合いのおじさんにアパートからホテルまで送ってもらうことになっていました。その際、同じ日に帰国する予定だった私の友人も同乗し、彼女と共にホテルに移動することになっていたのですが、彼女がアパートを引き払うのは私よりも一日後でした。そのため私は彼女のアパートに到着したとき塩鮭だけを持って彼女の部屋に行き(想像するとかなり滑稽かも)、彼女を迎えに行くとともに「ねぇ、そっちの冷凍庫にこの塩鮭入れておいてくれない?ムービングセールか何かで部屋に来る人まだいるでしょ、その人にあげてもらえるかなぁ?」とお願いしました。

さて問題です。どうして私はここまでして塩鮭を捨てずに持ち続けたのでしょうか?もしあなたが同じ立場に立ったらどういう行動をとりますか?それはどうしてですか?

ちなみに塩鮭は友人によると無事同じアパートの日本人の方にもらわれていったそうです。めでたしめでたし。


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これ「もったいないと思ったから」の一言で済ませちゃダメですよ。それでは分析が足りません。単にそれだけでは「他に引越しで捨てたモノはたくさんあるのになぜこの塩鮭は捨てられなかったか」を説明できません。また、最悪知り合いのおじさんにあげるという「解決法」もあったのですが、このおじさんは日本人ではないためおそらくもらってもどう食べていいかわからなかったと思います。私は塩鮭を塩鮭らしく食べてもらいたかったため(もっと大げさに言うと、塩鮭になるという運命をたどったこの鮭の本分を全うしてもらいたかったため)あえて日本人にこだわりました。

「もったいないと思ったから」をもう一歩踏み込んで分析すると「塩鮭を捨てている自分の存在を認めることができなかったから」だと思います。ポイントは「もったいない」という考えを「当たり前じゃない」とか「常識でしょ」という一言で済ませないことです。私以外の人が同じ状況に陥ったとき皆同じような行動をとるとは思えません。引越しというある意味時間的制約の多い切羽詰った状況の下では、何も考えずに捨てる人も多いかもしれません。引越しの時は多くのものを(結果として)捨てる羽目になるので、毎回罪悪感にさいなまれます。私が上に書いた行動をとったのは、その自分の罪悪感を少しでも軽減したいという自分の気持ちの表れだと私は解釈しました。塩鮭のためではなく、私のためなのです。もっとも、誰かにもらわれてはいきましたが、無事最後まで見届けた訳ではありません。その人が「う~ん、やっぱりいらない」といって捨ててしまう可能性だって否定できません。でも私はベストを尽くしました。

では、他にたくさんのモノを捨てたのになぜ塩鮭はここまで大事に扱われたのでしょうか。冷凍食品だから傷みやすいし扱いも面倒です。それにこだわるヒマがあったらさっさと捨てて塩鮭のことは忘れてしまって引越し作業そのものをしたほうが、「引越しを済ませる」という目的のためには良かったかもしれません。しかし私には別の「引越しの際に毎回感じる『まだ使える/食べられるものを捨てなければならない罪悪感』を最小限にしたい」という目的があり、罪悪感を感じてしまう自分がいる以上これはそれなりに優先順位の高いことだったのだと思います。この目的を果たすことは、私という人物の一貫性を保つために重要なことでもあります。

あとは、子供の頃から「食べ物を粗末にしてはいけません」と半ば刷り込みのように教えられていることも潜在意識に影響しているかもしれません。アメリカ生活が長いと、食べ物を捨てている場に遭遇することが多いんだ、これが。レストランで食事を注文すると出てくる量が多いこともあるし、余ったものを持ち帰ることが可能で実際持ち帰っている人もいますが、残している人も結構多いです。多くの残飯を見るのは心が痛みます。

私が小さい頃、夕食のトンカツやコロッケについてくる千切りキャベツを「食べる」と言って出してもらって残すとそれが次の日の朝ごはんに炒めて出てきて、それでも食べ切らないと「じゃあ捨てるしかないね。キャベツさんに謝りなさい。」とか母親に言われて「キャベツさんごめんなさい…」と言いながらキャベツを捨てた記憶があります。他にも小さい頃はいろいろなことを経験していると思うのですが、なぜかこの記憶はかなり鮮明に残っています。そのせいか食材にも魂があると思ってしまうようで、塩鮭を捨てられなかったのはこういう幼少時の原体験があるからかもしれません。

小学校の頃確か国語の教科書に「鮭の一生」という話がありました。鮭は約2000個の卵を産むそうですが、稚魚になり川を下り遠洋に旅立ち、再び同じ川に戻ってきて産卵までに至るのはわずか2~3匹なのだそうです。他の鮭たちはそれまでに他の生き物に食べられてしまったり、我々人間によって捕られてしまうのです。この塩鮭もおそらく遠洋で漁師さんによって捕まえられたため、残念ながらその2~3匹にはなれなかった鮭なのです。…こんなことを考えていたら、やっぱり捨てられませんよね。

塩鮭のことを考えるだけでこんなにヒマがつぶせるなんて、ひょっとして私って天才かも…と思ったか思っていないかは皆様のご想像にお任せします。


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昨日午後無事成田空港に到着し、今は水道橋のホテルに滞在しています。今日からもとの職場に戻ります。かなり浦島太郎状態になっているんだろうな…。
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by coast_starlight | 2007-07-02 07:30 | 考え方

<考え方> 割引率

割引率(discount rate)というと、企業価値などを評価する際に将来の価値を現在の価値に直すために使うレートというのが主な概念だと思いますが、人間関係における「割引率」って何でしょうか?身近な例として以下のような状況を考えてみたいと思います。


<例題> スーツケース貸してよ

昨年のある水曜の夜、携帯にある友人(アメリカ人)からメールが入っていました。3泊ほどの小旅行をするのだそうです。

「今小さいスーツケースがないから、もしいいのがあれば貸して欲しいんだけど。」

「いいよ。で、いつがいいの?」

「土曜日の朝に取りに行っていい?金曜日にメールするから。」

「わかった。おやすみ。」


金曜日の夜。自分からメールすると言っておきながらまだ連絡してこないし。私もそろそろ眠くなってきたよ…と思いメールしました。

「明日10時に学校に行かなければならないから9時45分に学校へ行く通り道の交差点で渡したいんだけどそれでもいい?」

「9時にそっちに取りに行っていい?」

「早めに欲しいんならそれでもいいけど。私の家の前に来たら電話して。下まで持っていくから(私の家は17階)。」

「わかった。」


そして、土曜日の朝。9時半頃になっても何の音沙汰もなし。9時に取りに来るって言ったじゃん!それに私の家は彼の家から歩いて5分くらいだし、大して来るのが面倒な訳ではないはず。そろそろ学校に向かわなければならないので電話(留守電)とメールにメッセージを残し、9時40分頃家を出ました。で、10時ごろ彼から返信が来ました。

「ごめん。寝すごした。今回はいいよ。また戻ったら会おう。」

さすがに「オッサン何カマしてんねん!」って一瞬心の中で思いましたよ!でも、以前の自分だったらすぐ機嫌を悪くしていたと思いますが、別に腹は立ちません。たぶんこれで友人関係が壊れることもありません。どうしてでしょう?


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答えは簡単。私の中で彼に対する「割引率」が高いからです。それまでの経験から「やっぱりやめる」と言ってくる可能性は高いと思っていたので、初めから話半分(あるいはそれ以下)に聞いていたからです。(ハーバードの学生だったらその辺ちゃんとしてると思ったら大間違いですよ…。)別にそれが相手に対して失礼になるということはありません。実はその水曜日の夜、メールが来る少し前まで私は彼と(夕食か飲みかは忘れましたが)一緒にいたのです。本当に困っていたのならその時に話をして帰り道に渡すということもできたので、後になってから携帯メールが来た時点で「この人思いつきで言ってるな」と少し思ったのも事実です。従って、彼にスーツケースを貸そうが貸すまいが私から見て失うものは何もありません。特に自分のスケジュールを変えることもないし(逆に言うとこれくらいの用事じゃ変えない)、私の頭の中のメモリ全体におけるこの出来事の占める比率はかなり低かったので、今振り返っても「あぁ、そんなこと言ってたな」くらいにしか思いません。ただ、彼に対する割引率はさらに上がったかもしれませんが。あんまり優しく接しすぎると調子に乗られる可能性もあるので(?)、適度なところでハッキリと「いい加減にしてよ」と言わなければいけないのかもしれませんが、その見極めが結構難しいところでもあります。(でも、相手が日本人だったら腹立てるでしょうね。)しかし割引率が高いと、何か調子のいいことを言っていても「まあいつ実現するかは不明だな」と思う反面、何かやってくれるというときはそれが実現するとうれしさも増します。

留学生活を始めてから、あまり人に対して腹を立てなくなったような気がします。というか、腹を立てても仕方がない、どのみち自分に跳ね返ってくるだけだから腹を立てるだけ損、と思うことが多いと言ったほうが正しいかもしれませんが…。もちろん、何かイヤなことを直接意図的にされた場合は腹が立つでしょうが、認識の相違や連絡の行き違いといったことについては「あ、そういうこともあるのね」と気楽に構えることができるようになりました。割引率に絡めて言うと、許容できる割引率が大幅に上がったということかもしれません。

さて、上記の例ですが、頼まれごとの受け手として真面目に考えると結構失礼です。「おいおい、自分から言っておきながら何だよ…」と腹を立てるを通り越して呆れても仕方ないところです。でも、こういう人、過去の経験からも少なくなかったです。これから留学生活を送られる方はご参考まで。
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by coast_starlight | 2007-06-23 10:22 | 考え方

<考え方> 「やるべきことをやる」ってどういうこと?

日々の生活で「さて今日は何をしなければならないんだっけ?」と考えてやるべきことを紙に書き出して…という作業を繰り返していてふと「これだけでは不十分ではないか」と思いました。厳密に言うと、日々考えている「やるべきことをやる」なおかつ「やるべきでないことをやらない」ことが重要だということです。もっと細かくいうと、下記の表において左上のマスだけでなく4つのマスのすべてを満たすよう努めることが大事だということです。
a0079741_13215025.jpg

※「プロクラスティネーション」についてはこちらを参照ください。

こうやって見ると、私の場合「やるべきでないことをやっている」時間が多いなー、とつくづく思います。例えばパソコンの作業をやっている途中にフリーセルで遊んでしまうとか。でも多少遊ぶのであれば息抜きに良いし、息抜きも必要(やるべきこと)だから、結局は「やるべきことやっている」のかもしれない…などと考えていると少し訳が分からなくなります。そう考えると、何が「やるべきこと」で何が「やるべきでないこと」なのか、という見極めも大事ですね。
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by coast_starlight | 2007-02-04 13:18 | 考え方

<考え方> 誠実さをアピールするには

今サンクスギビング(感謝祭)休暇中で、ふと考え事をする時間ができたのでこんなことを考えていました。

<例題> 面接で

あなたは自分自身が誠実な人間だと思っていると仮定します。さて就職面接の場でその誠実さをアピールしたいのですが、どのようにアピールすればよいと思いますか?

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これって結構難しいと思います。もし「あなたの長所を教えてください」と聞かれて「自分は誠実な人間です」と答えたら、そう言った瞬間にウソになってしまうような気がします。昔羽賀研二が梅宮アンナと付き合っていた時、主に梅宮パパに対して「誠意大将軍」なんてアピールしていたこともありましたが、自分から言えば言うほどうさんくさくなってしまうのがアピールの難しいところだと思います。(そんな彼も最近結婚しましたけど…)

もし私が面接を受ける立場だったら、可能な直接的回答はせいぜい「私は常に誠実でありたいと思って日々行動しています」くらいだと思います。ここで「誠実である」を例えば「差別をしない」に置き換えると少しはわかりやすくなるかもしれません。「私は差別をしません」と言う人がいれば、私はその人はウソをついていると思います。なぜなら、無意識/無知が原因で不本意ながらも人を差別してしまう可能性を100%排除することは不可能だからです。しかし、「私は差別をしないように努め、日々行動しています。でも差別をしてしまったらそのときはごめんなさい。」と言えばウソにはなりません。

ところで相手側の立場に立ってみると、発言がどこまで本当かを判断する――ここからその人の誠実さが間接的に判断できると思うのですが――ためには、上記の発言を例にとると、
・差別をしないよう努めているという、その努力の度合い
・差別をしてしまったらごめんなさいという、その謝罪の深さ
を見極めることになると思います。また、このようなことを厳密に判断しようとすると、その人と一緒にある程度長い期間を過ごさないと本当のところはわからないと思います。

しかしそうは言っても現実には就職面接のように短時間でその人の人となりをある程度見極めなければならない状況は多々あると思います。そういう場合、どうすればよいのでしょうか?たぶんその他のやりとりから「この質問にこう答えたということは…」というロジックおよび「この質問に対してこのような反応(言葉に限らず目の動きや態度・口調など)を示したということは…」という非言語的リアクションの両面から推論するしかないと思います。

従って「自分の誠実さをどうアピールするか」という問いに対する結論としては、「受け答えおよび態度全体でその姿勢を示す」しかないと思います。これは誠実さに限らず、長所全体に言えることだと思います。もう一つ気をつけるべきなのは、自分がいくらそう思っていても判断するのは自分以外の周りの人だということでしょう。

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先学期とったスピーチの授業で、言葉そのものが伝えるメッセージはわずか7%で、残りの93%は非言語メッセージであると習いました。ここでいう非言語メッセージとは、話し方/口調・態度・雰囲気などを指します。ちなみにこの授業は毎週講義1回・約25名からなるワークショップ1回という構成で、ワークショップでは隔週で3~4分のスピーチをすることになっていました。スピーチについては教授からだけでなくワークショップに参加する他の学生全てからもコメントと採点が返ってきます。また毎回ビデオ撮影され数日後にイントラで自分のスピーチ風景が見られるのですが、これは当然他の学生もアクセス可能なのでかなり恥ずかしかったです。また準備が足りないと思われる学生に対しては「原稿を読むな」「感情が入っていない」「まんべんなくあいコンタクトをしろ」「結論がよくわからない」といった容赦ないコメントが返ってくるので恥ずかしい思いをしないためにも毎回の準備が欠かせません。スピーチだけでなく乾杯の音頭や人への賛辞といったテーマもありました。今とっているリーダーシップの授業とも絡むのですが、非言語メッセージで人に自分の思いを伝えるというのは本当に難しく、何歳になっても試行錯誤を続けることになるのだろうなと思います。
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by coast_starlight | 2006-11-25 02:57 | 考え方

<考え方> それが筋だ、って言われても…

今までの私の人生において、学業面や友人関係でトラブルが起こり、人を怒らせたり不快感を与えてしまったことがたびたびあります。そういう時一番言われて「ぎゃふん」という気持ちになるのが、「…するのが筋じゃないのか」という言い方で不快感を表されたときです。トラブルの原因は私の怠慢や能力不足・手違いといった私の側に問題がある場合もあれば、お互いの認識や考え方の違いが原因の場合もあります。そういうとき、相手を怒らせてしまったのは事実だからそれについては何はともあれ謝りたいと思い謝ります。でも私がいつも思うのは、

「『あなたのその行為/言動に対して、僕は/私は腹が立った』という言い方で十分なのに、どうして『…が筋じゃないのか』と客観性の鎧をまとわないと自分が不快だと言えないのだろう?世の中の一般的価値観(ほかの人が同じ状況に陥ったときに多くの人はどう思うか)はどうでもよくて、ほかでもない彼/彼女に不快感を与えてしまったという個別の事実が私にとっては重要なのに…。」

ということです。そうは言っても正面きって「あなたを怒らせてしまったことについては謝ります。しかし私は必ずしもそれが筋だとは思っていません。」と言ってしまうとたぶんケンカになってしまいます。だからたいていの場合はそこまでは言わないでひたすら謝ります。(かなり信頼のおけると思っている相手なら正面きって言う可能性もありますが…。)

つきつめて考えれば「自分が不快感を抱いた」ということと「それが筋かどうか(世の中の道理にかなっているかどうか)」は別問題です。それに「僕/私が世の中の道理だと思っている考え方に外れたことを君はしたんだ。だから不快だ。」という言い方はある意味かなりきつい言い方だと思います。これらのことに気づかずにお互いが自分の正当性を述べ始めたりスジ論になってしまうと収拾がつきません。

なぜこのようなことを考えたのかというと、英語で会話をしていると、腹が立ったときそういう言い方している人を聞いたことがないなーと思ったからです。「それが筋ではないか」というのを英語にすればおそらく「I think that's the way it should be」とでもなるのでしょうが、たぶん英語でこう言ってもその後に「I'm upset/annoyed/frustrated/uncomfortable」などとつけないとほかの人に対して自分の不快感は伝わらないと思います。単に「So?」と思われて終わりです。

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日本語には「筋を通す」という表現があります。自分なりの首尾一貫性を保ちつつ、自分自身に対して説明責任を果たす(to be held accountable)べく私も日々生きているつもりではありますが、自分が筋だと思っている信念はあっても「それが筋じゃないの」と人に言わないように注意しているつもりです。なぜなら、人それぞれ考え方は違うから。Everybody is different. 今いる環境では、このことをイヤというほど思い知らされます。
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by coast_starlight | 2006-10-02 06:27 | 考え方

<考え方> 目指せ!? ベスト・プロクラスティネーター

旅行から戻りました。旅行記を書く前に簡単な例題を一本。

<例題> 隗より始めよ、とは言うけれど…

明日締切のレポートやプレゼンがあったとしたら、まず何をしますか?

① すぐ取り掛かる  ② メールのチェック  ③ コーヒー/お茶を入れる  ④ 部屋の掃除を始める

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a0079741_12513737.jpgプロクラスティネート(procrastinate)とは英語で「ダラダラする、先延ばしにする」という意味です。プロクラスティネーターとはプロクラスティネートする人のこと。上記で①以外を選んだ人は素質十分。すぐ取り掛かる人はダメです。ちなみにケネディスクールにはプロクラスティネーションコーカスという課外活動クラブがあります。でも活動しないことが活動の目的なので会合はありません。全員幽霊部員です(でもHPは充実している)。

でもそうやってボーッとしている中で突然アイディアを思いつくことってありませんか?その瞬間から急に物事がはかどり出して結果としてよいものができた、そういう経験は私にもあります。レポートなど考えることを求められるものだと課題となっているトピックそのものについて考えることも重要ですが、それにこだわっていると思考のベクトルが固定してしまう恐れがあります。計算問題が多い経済学や統計学のような科目であれば手を動かすことが重要だと思いますが、ケネディの授業はいきおい課題に取り組む中でプロクラスティネートしてしまう科目が多いような気がします。従って、どこまで切羽詰っているかにもよりますが私の場合少しはプロクラスティネートする時間をとっておくことが多いです。あるいは課題にどう取り組むか方針だけ先に大まかに決めておき、最終的に書き上げる締切の数日前まで放っておくこともあります(場合によってはちょっと危険)。

とてつもなくムダに見える行為からとてつもなく革新的な、結果として世の中の役に立つものが生まれることもあります。例えば電車男現象は電車男を支えていた無数のプロクラスティネーターがいたからこそ実現したのだと思います。また、そこから本やテレビドラマ・映画が生まれそれを楽しい・面白いと感じることにより元気を得たり勇気付けられたりした人も多数いるはずです。加えて、目の付けどころのいい人が企画にすることを思いつく、という要素も必要です。この企画を思いついた方は思いつくまで相当なプロクラスティネーションをしたのではないかと想像します。他にも、商品のネーミングやキャッチコピーを考える人、作家など創作活動に携わる人にもプロクラスティネーターが多いかもしれません(というか、プロクラスティネートする時間がないとやってられないかも…)。そこから世の中に新しい価値が提供されることだってあります。だから何を持ってムダとか有用とかいうことは一概にはいえないと思います。結果として世の中にとってものすごく有用なものを生み出す、でも本人はプロクラスティネーションを満喫できたと思えるような人が、自分も周りも幸せにできるベスト・プロクラスティネーターだと思います。

しかし、プロクラスティネーションも度を超すと周りに迷惑をかけることもあるのでほどほどに…。

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私が考えるベスト・プロクラスティネーターの条件は以下の通りです:

① 自分がプロクラスティネートできる最適な環境(カフェ・図書館・公園・自宅など)を曜日別・時間帯別に把握している
② 締切までの時間と切羽詰った度合いに応じてプロクラスティネートしてよい時間を的確に見積もることができる
  (締切までに成果物ができていなければ本末転倒)
③ 「なぜ、今この瞬間自分はプロクラスティネートしているのか」その必要性および意味をしっかりと認識している
④ 一人でいることに慣れている(基本的にプロクラスティネーションは一人ですることなので)

ひょっとしたら、プロクラスティネーション≒己を知ること、なのかもしれません。

私は、少なくとも世の中にとって有用なものを生み出せるほどプロクラスティネーションを極めておらず、ベスト・プロクラスティネーターへの道のりはまだ程遠いです。でも、この写真を見ると、「いや、目指したくないかも」と思ったりしてちょっと複雑な気分…。
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by coast_starlight | 2006-08-11 13:00 | 考え方

<考え方> ナイーブじゃダメ!? (前回の続き)

今日(7月23日)は土曜の丑でしたね。ウナギ食べましたか?ウナギは私の好物の一つです。食べていない人(私も含め)は、この写真イメージをプレゼントいたしますので気分だけでも味わってください!

<例題 ~行列のできるウナギ屋~>

竜安寺を観光した後、あなたは同僚とウナギ屋で昼食をとることにしました。店主とその奥さんの2人だけで営業しているこのお店は客が15人も入れば満杯になるほどの一見目立たない小さなお店です。しかし毎日必ず行列ができるほど有名で、また唯一のメニューである鰻定食は1日100食限定であるため特に土日はお昼でも遅く行くと売り切れてしまうことがあります。豆腐料理や精進料理といった京都によくある料理だと体格のいい同僚はすぐおなかがすくだろうと考え、日本を代表するスタミナ料理である鰻定食を食べさせてあげたい(+自分も食べたいから)という理由でこのウナギ屋に行こうと思いあなたは事前にこの店をチェックしていたのでした。11時頃竜安寺を出てタクシーで向かった2人は無事間に合いました。

a0079741_124809.jpg店の外で30分、さらに店の中に案内されてから15分ほど待った後、待ちに待った鰻定食が運ばれてきました。脂ののった、炭火で焼かれたウナギに店主秘伝のたれがほどよく調和し、京丹後コシヒカリのご飯と一緒にほうばるとそれはもう至福のひととき…とろけるような身の部分とパリッと焼かれた皮のコントラストを口の中で味わえるこの幸せ!喜びに浸ってちょっと自分の世界に入っていたあなたに対し、同僚が質問してきました。

「ところでなぜこのお店にしたの?」
「この前あるテレビ番組でここのお店が紹介されていて店主に興味を持ち、京都に来た際は是非こちらに行きたいと思っていたのです。それまで取材拒否を貫いてきた店主がやっと答えてくれたというインタビューで店主がこんなことを言っていたんですよ。
『15歳で弟子入りしてから40年以上、この道一筋でやってきました。鰻の蒲焼をつくるのでは誰にも負けない自信があります。しかし経営とか難しいことはよくわかりません。十分食べていけるだけの稼ぎも得ていますし、今のままで満足しているのです。だから今以上店を広げるつもりはありません。特にここ最近かなり暑いですから炎天下でお客様にお待ちいただかなければならず大変申し訳なく思っています。でも妻と私二人の力だとこの大きさの店で1日100食お出しするのが限界なんですよ…。』
道を究めようと一つのことにひたむきに打ち込んできた店主の姿勢に感動して、是非この人がつくる鰻定食を食べてみたいと思い、今回京都に来る際にこのウナギ屋に行こうと心に決めていたのです。」
「確かにこのウナギは相当おいしい。いい店に案内してくれてありがとう。でもそのコメントは単に店主がナイーブなだけに聞こえるけど…僕は尊敬できないなぁ。こんなにおいしい鰻定食を他に広めようと思わないなんて、僕には考えられない。」

思いもよらぬ答えにあなたは一瞬困ってしまいました。さてどう返しますか?

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私だったらどう答えるでしょうかねぇ…。

「ナイーブという言葉は日本でも外来語として使われているのですが、違った意味になっています。日本語でナイーブというと『純真な・素朴な(pure、sensitiveが近いでしょうか)』といったポジティブな意味で使われます。英語でいう『単純な・稚拙な』といった悪い意味ではありません。でもこれは言葉が日本語に取り入れられて意味が変わったのではなく同じ現象の捉え方が異なるため別の意味になったのだと私は思います。従って私はこの店主がナイーブだと思うあなたの気持ちを必ずしも否定しません。ただ私はナイーブを日本語的に解釈し、邪念にとらわれずただベストの鰻定食をつくるという一つのことにひたむきな純真な店主に対して尊敬の気持ちを抱きます。

先ほど竜安寺でお話ししたつくばいの話でいうと、この店主が今以上に店を広げようとしてこなかったのは『吾唯足るを知る』のところで止める道を選んだからかもしれません。いや、表向きに見ると弟子もとらず毎日決まった数の鰻定食を作る仕事を繰り返しているように見え、確かにそれは『ナイーブ』であると言えるかもしれません。ですが、ひょっとしたら店主は自分の中で最高の鰻定食をつくるため道を究めるのに専念したいから、それ以外のことを考える時間と手間が惜しいからあえて今のスタイルにこだわっている…そう解釈すると実は自分との戦いに対してはかなり野心家と言えるのではないですか?実は、全日本鰻蒲焼きコンクール最優秀賞の賞状が店の奥のほうに貼ってあったのに気づいたんですよ。」

この例題は(前回も含め)実話に基づいたものではなく全くの想像で書いたものなので、こう答えてどういう反応が返ってくるのか今ひとつ想像がつきません。こういうメンタリティってアメリカ人に理解してもらえるかな…。アメリカに住んで通算5年経ちますが未だに確信を得ることができません。

日本語だとナイーブというと「純真な」という意味でよい意味で使われることが多いです。でも英語だと「考え方が稚拙、幼稚である」といったかなりネガティブなイメージで使われます。ある会社が「ナイーブ」というブランドでシャンプーやボディーソープなどを出していますが、初めて商品が出たときコマーシャルを見た私は「このネーミングまずいんじゃないの」と思いました。でもこの名前でブランドが確立し根強い人気を保っているところからすると、実はこのネーミングを考えた人は先見の明があったのか?と複雑な気分です。(やはり最初直感的に抱いた不安はぬぐえない)

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ケネディスクールは各界のリーダーを養成する機関であり、実際リーダーとして持つべき考え方について学べる授業が数多く開講されています。リーダーシップそのものを学ぶ授業は秋以降履修予定でリーダーシップに関して深く学習したわけではありませんが、私がリーダーとして重要だと思うのは「ナイーブな人がナイーブでいられる幸せを提供すること」だと思います(これ、ゆめゆめ誤解しないで下さい!ここでいうナイーブは日本語的な意味で使っています)。人の上に立つためには、確かにナイーブだと務まらないと思います。加えてどういったリーダーを目指すかにもよりますが一定以上の野心も必要だと思います(魑魅魍魎が跋扈する環境ならなおさら!)。でもこの世の中に生きている人は皆が皆野心家ではありません。生まれてからずっと同じ地域に住み故郷を愛し、幸せな家庭を築くことさえできればそれでよい、そう思っている人だってたくさんいるはずです。そういう人たちしっかりとした土台をつくってくれているからこそリーダーは各地を飛び回りリーダーとしての役割を果たせるのだと私は思います。従って人を尊敬するかしないかを「ナイーブかどうか」で判断しないよう、ややもすると今のような環境にいるとその罠にはまりかねないので私も常日頃自分に言い聞かせています。


※注 
イメージ写真はお金を出して素材屋のサイトから買ったものです(値段は鰻定食(松)くらい)。写真ってタダじゃないんですよ…勝手にダウンロードしてWebに載せたりされないようお願いいたします。どうしても欲しい…という場合は連絡下さい。
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by coast_starlight | 2006-07-24 13:02 | 考え方

<考え方> 吾唯足るを知る

<例題 ~竜安寺観光~>
あなたは、米国現地法人から日本出張中の米国人の同僚から週末京都観光に付き合って欲しいと頼まれ、竜安寺にやってきました。石庭を見学した後、寺の裏にあるつくばい(手水石…ご存知でない方は下記をご覧ください)について、手元にあるガイドブックの文章を適宜訳しながらあなたは同僚にこう説明しました。

「この手水石にある文字は、右回りに「吾唯足るを知る」と読むことができます。たとえ富(wealth)がなくても現状に満足することを知っていれば心は満たされ幸せであり、現状に満足することを知らない人はたとえ富に恵まれても幸せではないという禅の教えが由来だそうです。転じて、名誉・地位・財産などはほどほどのところで満足することを知りなさい、と解釈されます。」

「現状に満足してしまっては、進歩がないではないか。」

どう返すか考えて下さい。


<参考> つくばい(竜安寺HP…「案」のところ(境内のご案内→境内図②)をご覧下さい。)


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自分で例題をつくっておきながら解答をつくるのに結構悩みました…私だったらこう答えると思います。

a0079741_9391868.jpga0079741_9385890.jpg「現状で満足する道を知れ、一旦そういう精神状態になれと言っているのであって、その先を目指してはいけないとは必ずしも言っていません。野心の赴くままに突き進む(左の図)のではなく一呼吸置いて考えろ、という意味だと私は解釈します。どんな分野でも上を目指そうとすると、自分のモチベーションにも関わりますから初めは単なる自己満足で突き進んで良いと思いますが(右の図①の状態)、②のレベルを目指そうとすると自分のためという考え方のみではいけないと思います。例えば「世のため人のため」という発想が必要なのでは、と考えます。それがなければ①の状態で満足して自分の心の充足を感じるにとどめておくべきなのかもしれません。①の状態で満足すべきか、あるいは①から②の状態に行くのかどうか、そこで一旦熟考するプロセスを踏むことにより、何かを成し遂げるにおいて肝要な精神のよりどころが固まるのだと思います。したがって、自己満足の部分については「足るを知れ」と言っているのではないでしょうか。」

自分で言うのも何ですが、上記の回答のポイントは、論理と自分の考えと推測を適当に織り交ぜて、歴史についてほとんど知識がないところをカバーしている(ごまかしている?)ところです。私も東京で働いていた頃外国人の方を京都へご案内したことが何度かありますが、自分の持っているおそらく最低限の教養レベルを以てその場のやりとりを考えるのに四苦八苦していました。大事なのは、的外れな回答をしないことです。的外れな回答をすると、信頼を失います。もし相手が歴史的背景や文化そのものに興味を持っているのであれば上記のような回答では相手は満足されないと思いますので、プロのガイドを雇うか「すいません、後で調べておきます」という必要があると思います。

実務経験が何年かある今でこそ多少の蓄積ができているかもしれませんが、ここに来てさらにも増して日本の歴史や文化について勉強しなおさなければ、と思います。一方で、高校レベル、いや中学レベルの歴史や文化の知識でも完璧に知っていてあらゆる話題につなげる論理的思考力と経験があればそんなに深い知識は必要がなくても何とかなるのではないか、とも思います。でも最近読んだ「国家の品格」(藤原正彦著)には、藤原教授がケンブリッジ大学での研究生活時代に出会ったある大教授にいきなり「夏目漱石の『こころ』の中と先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」と質問された話や、ロンドン駐在の商社マンがお得意様の家に呼ばれて、縄文式土器と弥生式土器の違いや2度の元寇の違いを聞かれたという話が書いてありました。こういう質問をふることによって相手の教養レベルを試しているのだとか。恐るべし…。そういう人と私が将来会話する立場になるかどうかはわかりませんが、一般教養って大事なのかも、と今更ながら思います。

なお、このつくばいは、徳川光圀が寄進したものと言われています。そのことも触れようかと思っていろいろ調べたのですがうまく話をつなげることができませんでした。触れるとかえってボロが出るだろうなと思ってあえて触れなかった、というのもあります。(わからないことは自分からは触れない、ということも重要)


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ところで私が小学生の頃ハマったゲームのうちの一つに、マイティボンジャックというゲームがありました。このゲームの重要アイテムにマイティコイン(これをとることにより主人公のジャックがパワーアップし、宝箱を開けたり敵をコインに変えたりすることができる)というのがあるのですが、このマイティコインは9枚までしか持つことができません。10枚目をとってしまうと何と「You are greedy」という言葉とともに拷問部屋に送られてしまいます。拷問部屋に入ると、敵をよけながら50回ジャンプしなければ出ることができません。ちなみに、50回ジャンプするというのはゲームをやってみればわかりますが相当な難行です。

「吾唯足るを知る」というフレーズからふとマイティボンジャックを思い出しました。今から思えば何て日本的な発想なんだろうと思いませんか?せめて9枚以上は取っても増えないようにするくらいにすればいいのに、拷問部屋送りだなんて…。私が大好きだったスーパーマリオの1upキノコや、クルクルランドの旗(1匹増える)には上限がなかったのに…。マイティボンジャックは私も何度か泣かされたなかなか厳しいゲームでした。

あともう一つ思い出しましたが、このゲームでは終了後ゲーム偏差値なるものが出ます。絶対評価(スコア)だけでなく相対評価の偏差値も知ることができるだなんて、これもかなり日本的かも。

マイティボンジャックをこよなく愛する方のサイトを見つけました。
http://www1.odn.ne.jp/horus02/title.html
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by coast_starlight | 2006-07-16 09:46 | 考え方

<考え方> 思いを馳せるということ

「相手の立場に立ってものを考えなさい」とはよく言いますが、少なくとも私には軽々しくそんなこと言えませーん!


<例題 ~相手の立場に立ってものを考える(基本編)~>

ヤマト運輸元会長小倉昌男氏は、2005年6月30日にカリフォルニア州ロサンゼルスの長女宅で最期を迎えられました。享年80歳。

問1:
2005年4月のある日、日本を発ちアメリカへ向かう小倉氏になって、飛行機の中で人生を回想してください。
問2:
あなたはロサンゼルス在住の小倉氏の長年の友人で、小倉氏がロサンゼルスに到着した後一緒に食事をする予定です。どのような話をしますか?


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この例題について考えるにあたって、次の2つの疑問が浮かぶと思います。ここではこれらの疑問に答える形で私なりの解説をしたいと思います。

1.どうやって解答を準備するか
2.そもそもこの問題を考えることに何の意味があるのか

それでは1.から考えていくことにします。

問1:
まず、「小倉氏になって」ですから、可能な限り小倉氏になりきることが大事です。私は当然小倉氏とは面識がありませんから、まずアクセス可能な情報として小倉氏の著書や新聞・雑誌・ネット上での記事などを読みます。小倉氏ご本人の著書やインタビュー記事といった、直接語られているものがいいでしょう。(小倉氏の著書の一つ「経営学」は私も読みましたが、これは小倉氏の功績だけでなく小倉氏の価値観や軸とされていた考え方がわかる本だと思います。)そうすると、次のようなことをはじめあらゆることがわかってきます。

・宅急便という概念およびオペレーションを一から作り上げられた。
・宅急便の路線免許取得をめぐり行政訴訟を起こすなどし規制改革に尽力された。
・95年にヤマト運輸会長職を引退されてからは、ヤマト福祉財団活動に注力された。
(もちろんこれ以外にもたくさんありますが、ここでは客観的事実について触れるのみにしたいと思います。)

また、4月中旬というのは亡くなられる1ヵ月半前であり、当時のご年齢やご体調を考えると、もう日本へ二度と帰ることない片道切符になるという覚悟をされていたのではないかと想像します。家族がアメリカにいるからとはいえ、最期が近いかもしれないという認識を持った上であえて長年住んでいた祖国を離れる決心をされるに至られた心中は察するに余りあります。著書を読み込むことにより、そのような決断をされた小倉氏の人間性がわかるかもしれません。

次に、「飛行機の中で」とありますから、飛行機の中を想像します。小倉氏くらいの方だとおそらくファーストクラスに乗られたでしょう。ビジネスクラスだったかもしれませんが、少なくともエコノミークラスではなかったと思います。ファーストクラスの座席・サービスは乗ったことがなければこれも想像するしかありません。飛行機の中という非日常空間、加えて出来ることが限られる移動中の時間となると、自宅や仕事場とは異なった環境および気持ちで人生を回想することになるでしょう。飛行機が離陸し窓から見える空や雲を眺めていたら、どんな気分になるのか…これは、今まで自分が飛行機に乗ったときの経験から肌で感じたもの、その記憶を総動員して集中力を働かせれば少しは小倉氏の気持ちに近づけるのではないかと思います。飛行機に乗ったことがない場合は…まず飛行機に乗るところから始めなければならないかもしれません。


問2:
問1について考えれば、自ずと答えは見えてくると思います。私の解答ですが、これが最後の食事になるかもしれないと考えると、まず小倉氏に会う前に自宅かどこか一人でゆっくり物事が考えられる環境で問1のような相手に思いを馳せる時間をとります。次にロサンゼルスにやってきた小倉氏に会ったら最初にねぎらいの言葉をかけ、話を聞き、問1で思いを馳せたことを思い出しながら小倉氏との会話のキャッチボールをするでしょう。本当に相手の立場に立ってものを考えるなら、これくらいのことをやらなければならないと思います。



次に2.についてですが…解がないこのような問題を考えることの意味は??

確かに決まった解答はありません…いや、あります。でも小倉氏ご本人でなければわかりませんし、小倉氏亡き今本当の答えは誰にもわかりません。当然私のような普通の人が経験したことのない世界をご存知で、数々の修羅場をくぐり抜けてこられたことでしょう。これらについては想像力を膨らませるしかありません。でも、だからといって考えることが無意味なわけではありません。リーダーシップ系の科目をケネディスクールでとったらこういう課題が出てもおかしくないかな、と思います。こういう問題について想像力を膨らませ考えを深めることが、リーダーとして必要な人生観について考えを深めるきっかけになると思うからです。

30そこそこの若造に何がわかる?確かにその通りです。でも、わからないなりに相手の気持ちや考えていることに思いを馳せることは可能です。相手のことを思い可能な限り相手の気持ちを想像する方向を向いている、そのベクトルを示すことに意味があると思います。

本当の解答は誰にもわかりませんが、「当たらずとも遠からず」的解答は、しかるべき手順を踏めば誰でもつくれると思います(これが重要)。
ケネディスクールでは、この「しかるべき手順」について考えるヒントを教えてくれるところだと思います。


最後に、ここで書いたことが役立ちそうなもっとプラクティカルな問いを投げかけてこのコラムを終わりにします。

問3:
ロサンゼルス在住のフリージャーナリストであるあなたは、小倉氏への独占インタビューをする機会を得ました。どんな質問をしますか?
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by coast_starlight | 2006-07-04 09:35 | 考え方

<考え方>何に対してお金を支払っているのか

留学先ではどういったことを勉強しているのか?それを端的に示す例をご紹介したいと思います。

モノやサービスを購入するときその対価としてお金を支払います。それは至極当然のことですが、モノやサービスそのものだけに対してお金を支払っていると思っていると正しい意思決定ができないと思います。次の例題で考えてみましょう。


<例題 ~雑誌の定期購読~>
Aさんはよく駅の売店で日経ビジネスを購入します。ある日Aさんは思いました。
「毎週じゃないけどわりと頻繁に購入しているから、この際定期購読しようかなぁ…。でも毎週読むわけじゃないし…。どうしよう??」
Aさんの立場に立って、定期購読するかどうかを判断してください。とりあえずここでは1年契約をするかどうかのみ考えることにします。なお、1年契約では期間・額が小さいので値上げや金利上昇は考えないことにします。

参考:日経BP書店HPより
■ 年間購読料(税込み) 1年(50冊) 21,000円   ※ほかに3年契約・5年契約あり
■ 一部売価格(税込み) 600円


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普通の考え方だと、1冊あたりの値段を21000/50=420円と計算し、「バラで買った場合の値段と比較して180円安いけどそんなによく読むかなぁ~。」と考えるのではないでしょうか。雑誌の定期購読募集広告でもよく「1冊あたりわずか○円!」と宣伝していますよね。でもこれだとリンゴとオレンジを比べているようなものです。比較対象が同じ基準で並べられていません。ではどうすればいいのでしょうか。

ここで、年間購読料金と毎週売店で雑誌を1年間買い続けた場合の料金との比をとって考えることにしましょう。

21000/(600×50)=0.7

もしAさんが今まで70%の割合で雑誌を購入していた場合(約3回/月)、バラで購入するのとコストは同じです。したがってAさんが定期購読するかどうかを決めるに当たっては、過去どれくらいの割合で売店で買っていたかを思い出して判断すれば妥当な意思決定ができると思います。送られてきた雑誌がつまらなければ読まなければいいのです。全部読まなかったとしても、全部読む権利(オプション)をバラで買う場合の7割の価格で購入できると考えると良いと思います。

上記の定量的評価とは別に、定性的には次のような利点とリスクを考慮するがあります。

<利点>
①家/職場まで配達してくれる(購入する手間が省ける)
②買う/買わないの意思決定を毎回しなくて良い
(私のように小さいことでグダグダ悩む人間にとってこの効用は無視できません)
③複数年契約の場合、値上げのリスクを回避できる

<リスク>
①ある日突然編集長が変わって雑誌の路線が変わる
(面白くなるかもしれないし、つまらなくなるかもしれない)
②長期契約であればあるほど解約できないというリスクが重くのしかかる

上記にある利点の①②は定量的に評価しようと思えばできます。もしAさんの時給というものが定義できるならば、①②にかかる時間(年間)に時給をかければその分の費用(transaction cost)が節約できる、と考えることもできなくはないと思います。この時給が高い人は雑誌購入頻度が低くてもおそらく何も考えないで定期購読したほうが良いでしょう。

ここでは雑誌を1種類しか購読しないという前提で考えましたが、もしAさんが日経ビジネスのほかに週刊東洋経済やエコノミスト、ニューズウィークなどの選択肢の中からどの雑誌(複数)を購読しようかと検討する場合は、Aさんが雑誌を読むのに費やせる時間という要素を考慮する必要があるでしょう。そうすると問題はもっとややこしくなります。
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これは私が留学先で学んだ考え方の一例です。もちろん例題は全くのオリジナルですが、
①定量的(quantitative)評価と定性的(qualitative)評価をすること
②権利(オプション)を買うという考え方
③定性的評価では利点とリスクを洗い出すといったプロセス
④transaction costの概念
はまさに学校の授業で学んだことです。

このような考え方が身につけば、仕事だけではなく日々の生活にもうまく応用してより良い暮らしができるのではないか…そう信じ日々暮らしております。
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by coast_starlight | 2006-06-28 09:32 | 考え方