カテゴリ:授業のはなし( 15 )

<授業のはなし> 当たれば大きいのだが

私が中学生の頃、広島東洋カープにランスという外国人選手がいました。1987年のシーズンには、規定打席(*下記参照)に到達した選手の中で最も打率が低かった(2割1分8厘)にもかかわらず39本のホームランを打ちその年のホームラン王に輝きました。その次の年は79試合に出場し打率は1割8分9厘でホームランは19本。88年のシーズン終了後日本を去っていきました。本名はリック・ランセロッティ。ロードアイランド州出身のアメリカ人で、広島退団後何とボストン・レッドソックスでプレイしていたこともあるそうです。引退後はニューヨーク州バッファローに移りそこで野球学校を開校し、現在その学校の経営者なのだそうです。同じ時期に「ブンブン丸」として名を馳せたヤクルトスワローズの池山選手も同じようなタイプのバッターでしたが、ランスのほうが「ホームランか三振か」の分散が激しかったような気がします。ゆえに私の中ではランスのほうがより記憶に残っています。そのギャップの激しさから、ランスは私の好きな野球選手の一人でした。ちなみに当時最も好きだったのは中日ドラゴンズの彦野選手。一番打者なのにがっちりした体格でホームランも打てる、足も速くてセンターを守っていたという、ほかの球団にいないタイプの一番打者であったことに惹かれたのかもしれません。

私も普段の授業ではあまり発言をするほうではなく、してもあまり大したことが言えないで空振りした気持ちになって沈んでいることが多いのですが、ごくたまに予想外の拍手を受けたり授業終了後「君のあの発言は良かった」とか知らない人から声をかけられたりします。昨日も交渉術の授業で、自分のグループの交渉結果がなぜそうなったかという計算の根拠を説明していたのですが、私が「これって算数の問題じゃん、簡単簡単」と思っていたら実はそのやり方を思いついた人はあまりいなかったらしく、私が説明し終わるとなぜか歓声と拍手が…。「えっ、何で!?」と私のほうがビックリしてしまいました。でも聞こえていた声は歓声ではなく、私があまりに淡々と式を説明していたからあっけにとられていた「えーっ、何この人!?」という声だったのかもしれません。

でも当の本人はそんなに気持ちよかったかというとそうでもなく、普段とのギャップの大きさにどうしても意識がいってしまって「あぁー、コンスタントに意味あることが言えればなー」というイチロー型を目指したいという落ち込みの気持ちのほうが大きかったような気がします。ケネディスクールでコンスタントにヒットを打つには、日々の授業で課されるリーディングをちゃんとすべきなんだろうな。いや、読むには読んでいるけど読んでもわからないんだよ!!…たぶん私はケネディスクールでは、どちらかというと頭の悪いほうのグループに入ると思います。本当にできる人は、日々のたゆまない努力もあるだろうけど、コンスタントに意味ある発言をしています。残り少ない留学生活ではありますが、いつ打てるか分からないホームランを目指すのではなく、しかるべきときに確実にヒットを打てるようになれるよう努力を重ねていきたいと思います。

(*)規定打席…「ある程度」レギュラーとして試合に出場しているという目安で、年間試合数×3.1で計算。当時は年間130試合あったため、規定打席数は403打席。首位打者などはこの打席数に達した人が考慮の対象になる。ちなみにピッチャーにも規定投球回数というものがあり、これは試合数×1イニング。
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by coast_starlight | 2007-04-07 10:08 | 授業のはなし

<授業のはなし> ネゴシエーション難民

a0079741_459684.jpg毎週火・水曜日の午後、学校のあちらこちらでカラフルな色の紙を手に歩き回っている人たちがいたら、彼らは間違いなくネゴシエーション難民です。この時間帯ネゴシエーション(交渉術)の演習が行われるのですが、授業をとっている人が2人・4人・6人などのグループに分かれ交渉する(毎週演習の設定が違うためグループの人数も違う)ためです。交渉する場所はこれといって決まっていないため、決まった時間帯にチェックイン(指定場所(写真)に顔を出し出席のチェックをする)して一旦グループのメンバーが揃ったら交渉を行うのに適当な場所を学校中探し回らなければなりません。カラフルな色の紙というのはそれぞれの役割で指示された内容を書いた紙で、間違った紙を受け取らないように役割別に色が分けてあります。

なぜ「難民」と書いたかというと、授業をとっている人の数が多いからです。総勢約170人が3つの時間帯に分かれて演習を行うのですが、例えば60人が3人のグループに分かれたとすると20箇所のスペースが必要なわけで、この20組が同じ時間帯に適当な場所を探すとなると結構大変だからです。あまり近いと他の人たちが話しているのが聞こえてしまうため、ある程度離れていないといけないという条件も場所探しが難しくなる原因の一つです。加えてこれ以外の授業のためにグループで集まっている人もいるため、複数人で話ができる場所を探すのはときに困難を極めます。

では、どういうところで交渉を行うのでしょうか?廊下のそこら中に置かれている椅子やテーブル・空き教室・窓際のくぼんだ場所…などなどが即席交渉スペースとなります。ふかふかのソファーなど居心地の良い場所はすぐ取られてしまうため、遅刻者が出て全員が揃うのが遅くなると交渉しやすい場所を探すのがなおさら難しくなります。本当はもっとましな場所が欲しいと毎回思うのですが、人が多いから仕方ないなーと半ば諦めています。

私は火曜日の4:15~のグループにいるのですが、一昨日の演習は非常に疲れました。6人のメンバー全員が揃い交渉が始まったのが4時半頃で終わったのが6時前(しかし交渉自体は決裂)、終了後のディスカッションがその後延々と続き結局学校を出たのは7時半頃でした…。交渉が決裂する事態は珍しいので、その次の授業(木曜日)で決裂したグループは大抵当てられます。今日は150人近くがいる大教室で(授業に来ない人もいるのでこれくらい)なぜ交渉が決裂したかを延々と話す羽目になりました…。私の印象ではある一人が準備不足で指示書をあまり読んでおらず(しかも15分遅刻!)、他のメンバーと比べて言っていることが合理的でないため全体の議論がうまく運ばず次第に感情的になって腹を立てるメンバーも出てきて全体の雰囲気がかなり険悪になり交渉決裂…という流れだったような気がします。彼がちゃんと準備をしてさえいれば決裂しないで済んだのに…。準備不足と思われるメンバーは交渉後のディスカッションでも自分の非を認めようとしないし、私および他のメンバーは全体授業で各々の立場や決裂した理由を説明していたのですが彼は授業を欠席し私を含め他のメンバーはさらに不信感を募らせていました。あるメンバーはとにかく怒り心頭で「教授に対して彼が準備していなかったことを報告する」とまで言う始末。たかだか授業での演習での出来事でしょ、と思うかもしれませんが侮れません。結構神経使います。このように演習も回を重ねると各々の「評判」が出来上がってくるのです。最近は、毎回誰と交渉をすることになるかが知らされる紙が配られる際は結構ドキドキするようになりました。

ところで、この演習の詳しい内容って知りたいですか…?結構ネタになるので面白いですが同じ授業(ケネディに限らず他の学校でもおそらく共通した教材を使っているところは多いと想像します)をとる人に対しては種明かしになってしまうため、ちょっと書くのをためらっています。「知りたい、教えて!」というリクエストが何件があれば検討しますが…その場合は私に連絡ください。
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by coast_starlight | 2007-03-23 05:01 | 授業のはなし

<授業のはなし> 統計学試験勉強中に言語能力について考える

秋学期の授業は12月中旬で終わり、その後テスト期間に入りました。テスト期間といっても学校で行われる筆記試験は経済学や統計学といった一部の科目にとどまり、ほとんどの科目では持ち帰り試験(take-home exam)です。日本風に言うと期末レポートといったところでしょうか。授業期間中に全てが終わってしまう科目もあります。私の場合今学期は筆記試験が1つ、持ち帰り試験が2つです。今もその持ち帰り試験の一つが残っていて、金曜日までに提出しなければならないため鋭意取り組み中です。(少し前の話になりますが)統計学の筆記試験が12月15日にあったのですが、試験勉強をしながらあれこれ考え事をしてしまいました。

この統計学の試験の特徴は、計算そのものよりも書かせる問題が多いということです。計算・解析結果をもとにし「頭は良いが統計学の専門知識のないボス(政策担当者)に対する提言を書きなさい」といった感じで、専門用語を使わず文章で説明させる言語化能力が問われる問題が必ず出ます。専門的な話を専門用語を使わないで説明するということは、本質をわかってないとできないことなのでかえって難しいような気がします。数式の説明に逃げることができないというのはある意味大変です。それに加えて英語で書かなければいけないということもあります。ただ英語のほうが言語の構成上スッキリと書きやすいこともあり、場合によっては日本語よりも実は楽かもしれないと思うこともあります。

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ところで留学して英語漬けの生活をしていて痛切に感じるのは、いかに日本語と英語の相性が悪いかということです。文字・文法・言い回し…何から何まで見事なまでに違うと思います。学校には英語が母国語でない学生は多くいますが、母国語がフランス語・スペイン語など英語と同じロマンス語系統の人は日本人と比べてそれだけで大きなアドバンテージです。ドイツ語などのゲルマン語も近いかもしれません。これらの言語を母国語とする人たちは、割と英語もうまいような気がします。一方日本語はトルコ語やウイグル語と同じアルタイ語族であるという説もあるものの語源はわかっておらず、世界のあらゆる言語の中でも非常に特殊な言語であるようです。単純に見て、表音文字(ひらがな・カタカナ)と表意文字(漢字)の両方を使い分けるほぼ唯一の言語である点からしても特殊だと思います。韓国語にも漢字はありますが、日常生活ではあまり使わないようです。

環境の面でいうと、例えばケネディスクールには発展途上国からの学生も多いのですが、彼ら(本国ではエリート層)は多くの場合海外で高等教育を受けていたり、本国で大学に通っていたとしても現地語では高等教育が受けられない(教材などのリソースがない)ため比較的小さい頃から英語やフランス語で教育を受けている場合が多いようです。植民地化の歴史も影響していると思います。一方、日本の場合日本語で多くの専門書が手に入りますし、博士課程まで終わらせることだって可能です。日常生活で英語をあまり使う機会がないだけでなく高等教育を受けるにあたっても、外国語を勉強しなければならないプレッシャーはあまり強くないような気がします。

そんな訳で私がいつも悲しくなるのは、「義務教育で2000字近い漢字や四字熟語、慣用表現などを苦労して勉強したのに(しかも最後のほうは日本で教育を受けていないから自分で勉強したのに)、自分の国でしか使えないだけでなく多言語に応用がきかないなんて…」という日本語の汎用性のなさおよびエネルギー効率の悪さです。悲しくてもどうにもならないだけに、自分の気持ちに折り合いをつけるのがなおさら苦しくなります(少し大げさかも)。メリットといえば、辛うじて中国語で書いてあることが何となくわかるくらいでしょうか…。また、留学から帰って日本で働くようになれば日本人としてネイティブレベルの日本語を期待されるので(ある意味当たり前ですが)これらの使い方を少しでも間違えたら恥ずかしさ倍増です。ところで、以前両親から送られてきた郵便物の中に、安倍総理に対して「旗幟(キシ)を鮮明になさって」と言うべきところを「キショクを…」と間違えて言ってしまったある女性閣僚の話を書いた新聞記事が入っていました。記事だけが入っていたので何ともいえないのですが、推測するに「日本語もおろそかにするな」という親からのメッセージだったのだと思います。でも私は「知ったかぶりをするな」という意味だと拡大解釈し自分を精神的に追い詰めないようにしているつもりです(ウソ)。うろ覚えの表現は、使わなければいいだけのことです。たぶん女性閣僚がその状況で少し難しめ(?)の表現を使わなければならない必然性は、なかったと思います。

従ってもし日本人に生まれていなかったら、おそらくこんな難しくてなおかつ汎用性のない言語をわざわざ勉強しようとは思わなかったと思います。それほど日本語は難しいと思います。仮に私が将来日本人以外の男性と結婚、あるいは日本人と結婚しても海外で住むことにして子供ができたとしたら、「日本語は日常会話だけで十分」と割り切ってあまり難しい日本語はやらなくてもいいよ、と言うかもしれません。もっとも、彼/彼女が将来アイデンティティーの問題に直面して日本語を本気でやりたいと思う可能性もあるでしょうから、その時を考えて日常会話くらいは普通にできるようにさせると思います。ソポンも同じようなことを言っていたし(以前の記事を参照ください)、そのエネルギーを英語や他の汎用性の高い言語の習得に注いだほうがいいのではないか、と本気で思うようになりました。もっとも、日本人と結婚して日本に住めば普通にネイティブとして日本語を習得させると思いますが…。にもかかわらず日本語を勉強したいという人、また日本語を実際に勉強しているという人の多さには驚きます。日本語を外国語としてやりたい人の多くは、日本の文化や社会そのものに関心が高い人が多いと思います。

ケネディスクールの学生には3ヶ国語以上できる人も珍しくないですが、日本人学生には3ヶ国語以上できる人はほとんどいません。だって、英語だけで精一杯だもん…。と思いつつ悔しいから今月は「フランス語強化月間」一人キャンペーン実施中で、フランス語学習に励んでいます。フランス語は昔からやっているもののいくらやってもうまくならず自分でもイヤになってくるくらいなのですが、こちらに来てから昨年は秋・春学期とフランス語の授業を学部の校舎でとったりと少しやる気をだしてがんばっています。「ヨーロッパの仕事をするならやっぱり英語とフランス語でしょ」という単純な動機から始めたものの、仕事で使えるレベルになるにはまだまだ道のりは長いようです。語学そのものだけでなく全体的な言語能力の向上という別の目的もあるのですが、そちらのほうは少しは達成できているかな…?
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by coast_starlight | 2007-01-10 06:29 | 授業のはなし

<授業のはなし> 二隻の舟

火曜日のリーダーシップの授業は、だいたい先生の「さあ、今日はどこから始めようか?」という一声で始まります。そこで最初になされる問題提起でその日の話題の方向性が決まっていくことが多いのですが、今日は50代後半くらいのミッドキャリアのアメリカ人女性による以下の質問から始まりました。

「男性から見て、女性が野心(ambitions)を持つことについてどう思いますか?」

今週のテーマは "Staying Alive"、日本語に訳すと「自分を持ち続けること」と言えるかと思います。加えて利他主義(altruism)、犠牲(sacrifice)といった副次的テーマもありました。彼女の問題提起は、今週のリーディングで女性が今まで求められてきた社会的・家庭的役割に関する内容があったこと関連すると思います。いろいろな方向に議論が流れていきましたが、あるアメリカ人男性の一言に私は思わず発言したくなりました。

「以前付き合っていた女性は戦場カメラマンで、イラク戦争の現場に出たりと文字通り命を懸けて仕事をしていた。付き合っていくうちに結婚を含め将来のことを話し合うようになったが、彼女がこの仕事を続けていくのなら僕の子供の母親として適当だろうか…という気持ちになった。」

戦場カメラマンという仕事は極端な例としても、この一言は私の心にグサッときました。私は思わず次のように発言しようかと思いましたが、今日は今朝締め切りだった統計学の宿題でエネルギーをかなり吸い取られていたこともあり発言するに至りませんでした。この授業で効果的な発言をするのには非常にエネルギーがいります。以前にも書きましたが、120人近くの学生がいる中、手を挙げて発言権を得るのではなくうまく話と話の間に入り込んでいかなければならないからです。最近は皆が沈黙を共有すること(embrace silence)を覚えてきたとはいえ、それはそれでその沈黙に割り入るのはなかなか大変なことです。

「彼の発言を聞いて、舟と港の関係を連想しました。ああ、彼は港の役割を彼女に望んでいたんだな、と。男女関係はお互いが舟でも成り立つかもしれませんが、子供を持つことを考えるとどちらかが港の役割をすることになるのは仕方のないことだと思います。従って彼の言うことにも納得がいきます。(もっと言うと、舟と舟は海で出会うことはできますが、港と港が出会うことはありません。)しかし私は正直言って辛いです。とっても辛いです。」

そんなことを考えていたら、空母という言葉を思い出しました。戦闘機を搭載する大型艦船のことを日本語ではなぜか空母といいます。空母は英語だと単なる "aircraft carrier" ですし、今まで出てきた有名な空母だってインディペンデンス・キティホーク・アブラハムリンカーンといった、母性的イメージとは無関係な名前がついています。なぜ日本語だと母なのでしょうか。「海」という漢字も旧字には「母」の文字が入っています。他にも「母なる大地」「母音」といったフレーズからも連想されるように、日本語では「母」=「安定的・土台の部分」といったイメージがあるような気がします。

ある人が野心を持つ傾向があるかどうかは、根本的には自分の性別と関係なく単なるその人個人の性格の問題だと思っています。しかし物理的にあちこち移動する生活をしていると、確かに港の役割を果たすのは難しいかもしれません。仮に野心の内容が「自分の店(何屋さんでもいいのですが)を地域一番の店にする」といった、おそらくあまり移動を伴わないであろう野心であれば両立も可能かもしれません。しかし「世界を股にかけて仕事をする」といった野心であれば、その野心に基づいて行動している限りその人は自分が港を求める立場になると思います。同じ人が一生舟あるいは港の役割を演じ続ける必要はないと思いますが…。

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もちろん、こういったジェンダー問題について私もいろいろ思うところはあります。しかし今日はこの話題に少し疲れていました。「構ってほしいけどほっといて」という気持ちに近いかもしれません。帰宅後、久々に家にあった中島みゆきのCDを引っ張り出してきて、「二隻の舟」をひとりヘビーローテーションしていました。こういうときにこの歌を聴くと泣けます。本当に泣けます。今日も私は心の中で泣いていました。(ご存知のない方でご興味のある方は、是非「二隻の舟」で歌詞を検索してみてください。)
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by coast_starlight | 2006-12-06 12:32 | 授業のはなし

<授業のはなし> ハイフェッツ教授に会いに行く

やっと今日、リーダーシップの授業を担当されているハイフェッツ教授にお会いすることができました。先生は非常に多忙な方で1ヶ月前から予約を入れる必要がありました。その時の様子を一部再現してみたいと思います。

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「先生、私は他の日本人学生があまり授業で発言をしないでいること、またその人たちに発言するようにうまく働きかけることができていない自分に少しじれったさを感じているのです。私が知る限り、9月に授業が始まって以来一度も発言したことのない人もいます。先生にとって、日本人学生の態度というのはどう映るのかが気になるのですが。」

ちなみに、授業での発言は成績の30%を占めます。成績の問題は別としても、授業で発言しないと授業に参加している実感を持つのは難しいと思うので、タイミングおよび伝えたいメッセージを見極めた上で毎週1~2回は発言するようにしています。

「確かに過去の経験からも日本人を含め一部の文化圏から来た学生は、中には君のように発言する学生もいるが、学期中ほとんど発言しないか、あるいは全く発言しないで学期が終わってしまう人もいるね。でもそれは文化的な背景が違うこともあるし、その態度自体がある意味メッセージでもあるから、それ自体はacceptableだと思うよ。」

「そうなんですけど、だったらなぜこの授業をとっているの?と思いますし…もっとも、このことを私の問題として捉えるべきかどうか、あるいは単にその人たちの問題で私には関係ないと思うかという問題もありますが…」

「なぜ他の日本人学生があまり発言していないことが自分にとって問題だと思うわけ?」

「他の人が発言しないと私の『日本人代表度』が相対的に上がってしまうというか、日本人にもいろいろな人がいるわけですし…。あとは単に自分が『ケネディスクールの日本人学生』という所属に属していると思っているから、同じ所属の人が気になるのだと思います。」

「でも、それらのことは君が彼らに働きかけることの是非について悩む理由にはなっていないんじゃないの?」

「……。たぶん私が過去にアメリカに住んでいたことがあることが関係していると思います。」

「こっちで大学に行ったの?」

「いえ、日本の大学に行きました。アメリカで過ごしたのは5年・6年・9年・10年生(9年と10年は日本の中3と高1に相当)の4年間です。その後日本でインターナショナルスクールに通っていたので12年の教育の約半分は英語で受けています。アメリカ文化や英語に慣れているという面では、確かにずっと日本に住んでいた人たちよりもadvantageがあると思います。」

「確かにそれは大きいと思うね。皆話したがる授業の場で発言するのには有利かもしれない。」

「でも私はずっと日本で暮らしていた人たちを逆に羨ましく思うときもあります。私には高校の卒業証書がありません。日本では高校は義務教育ではないため、高2の夏に帰国することになった私が行けるところはほとんどなく(なくはなかったがその学校が――というより自分ではどうにもならない理由で振り回されて学校を選べないという状況が――私は嫌だった)、教育システムの違いなど様々な理由からインターナショナルスクールに入ったのですが、これは日本の法律では正式な学校とは認められず、当時そこを卒業しても大学受験資格は得られませんでした(今は得られるようですが)。従って最終的に日本の大学の理系に行くと決めた私は、結局この学校を中退し大学入学資格検定(大検)を受け大学を受験しました。これは基本的に自分で選んだことですが、家の事情も関係しています。大学を卒業するまではバイトをする際などに履歴書を出すのが嫌で、『早く大学卒から書けるようにならないかなー』とずっと思っていました。単にそれだけのことと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、自分の所属がはっきりしていて日本人としてのアイデンティティーに悩まなくて済む人達が当時は羨ましくてたまりませんでした。今でもそうです(このことを自分の利点にまで高めるにはどうやらまだ至っていないようです)。従って、自分は何人かと聞かれても日本人以外の何者でもないのですが、そこにも完全に所属しきれていないというか、中途半端な存在なような気がするのです。」

「じゃあ、日本にいる時は日本人になりきっていないという気持ちを抱き、また周りからそう言われたりしたけど、いざアメリカに戻ってくると自分は日本人という気持ちが強くなるわけだ。」

「そうです。」

「これは授業でやってきているsystemicな問題の兆候を表していると言えるのではないかな。つまり、『日本人』という所属(faction)に属し切れていない、そこで期待される役割を果たしきれていない自分がいる(role conflict)と認識しているのだと思う。人は自分が属するところに対する無意識の忠誠心があるというか、それから外れてしまうと罪悪感を感じるところがあるから(詳しくはこちらを参照下さい)、日本人を代表したいんだけど果たして自分が代表していいのか、そういうジレンマがあるのだと思う。だから『そんな自分が彼らにもっと授業で発言するよう働きかけてもいいものか』と思うのかもしれない。何も自分個人としての問題として捉える必要はないんだよ。自分に与えられた役割が抱える問題なのだから、それは君個人のせいではない。大事なのはそれらの問題を分析し見極めることなんだ。今言っていることはまだ完全にわかっていないと思うけど。」

「たぶん20%くらいしか理解していないと思います。」

「今週のテーマはBoundary and Partnershipだから、自分のrole conflictについて授業で話してみたらいいんじゃないかな。他の日本人学生があまり発言しないということに関しては、『発言すること=リーダーシップを学ぶ機会』と考えて、その機会をもっと利用しようよ、という感じで話してみればいいのではないかな。」

「ありがとうございます。おっしゃったことおよび自分の中で抱えているものを消化するには時間がかかりますし、どこまで授業で発言できるレベルにまで言語化できるかどうかは何ともいえませんが、トライしてみます。」

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「自分に与えられた役割が抱える問題なのだから、それは君個人のせいではない」という一言に、肩の荷が下りたような気がしました。

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                 イモムシさんひとりぼっちだと何かかわいそうなので最近はつがいにしてます
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by coast_starlight | 2006-11-29 14:26 | 授業のはなし

<授業のはなし> 先生とランチを食べよう!

ケネディスクールには、"Take a Faculty Member to Lunch Program" という制度があります。これは、学生側から先生の誰かを囲む昼食会を計画し開催した場合、昼食代が一部支給される(8ドル/人・最大人数8人)というものです。正直なところ補助額は大したことないのですが、この制度の存在のお陰でこれを口実に先生を昼食に誘いやすいというのはあると思います。授業外で先生ともっと話がしたい、先生のご経験についてあれこれ聞いてみたいという学生の要望をうまく取り入れたとっても良い制度だと思います。

というわけでこの前の水曜日、その制度を利用して会計学の先生とお昼を食べてきました。人数は先生+学生4人の合計5人で、2週間前に終わった会計学の授業についての話や、先生が以前働かれていた会計事務所での経験談、先生のお子さんの話などあらゆる話が聞けて楽しいひとときを過ごすことができました。先生のご専門は大学など高等教育機関の会計監査なので、アメリカと日本での大学の収入源の違い、また親の教育費負担に関する考え方の違いといった興味深い話もすることができました。

ケネディスクールで教えている先生であれば、常勤/非常勤を問わず誰を誘っても構いません。また昼食補助の年間総額は決まっているためお金がなくなり次第終了します。いわゆる「早い者勝ち」です。学生側は最低2人必要・同じ先生を誘ってはダメという制約はありますが、一人の学生が何回申請しても構いません。昨年は自分からアレンジしたことは全くなかったのですが(一度お誘いを受けただけ)、今年は面倒がらずいろいろやってみようと決意し、ようやく第1回をアレンジしたのでした。あとは今月末に統計学の先生と同制度を利用しお昼を食べる予定です。

もしケネディスクールの同級生でこれを読まれている方がいれば、是非この制度を利用して先生との昼食会をアレンジすることをお勧めします。手続き自体はとても簡単ですが、先生は多忙なことが多く計画は早め早めにしたほうがいいです。わからないことがあれば私にメールください。
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by coast_starlight | 2006-11-11 10:46 | 授業のはなし

<授業のはなし> リーディングとは何か

a0079741_14221995.jpgこちらの授業で大変なのは、リーディングの量が非常に多いことです。どういうわけか感覚的に「読む」というより「リーディングをする」といったほうがしっくりきます。英語でも"Oh, I have to do the reading."と言ったりします。たぶんただ読めばいいというものではなく、書かれている内容や論点を踏まえた上で授業がどう展開するかを考えながら能動的に読む必要があるからだと思います。

ちなみに写真は先週終わった国際関係入門の授業で指定されたリーディング教材です。左の本は国際関係論入門の教科書、右の本はナイ教授の著書です。The Globalization of World Politicsは一部の章だけが指定されていましたが、それ以外の章も盛りだくさんで非常に面白いです。Understanding International Conflictsは全部読みました。それに加えてバインダーに入っている教材(course materials)の量が膨大で、厚さにして5センチくらいあります。わずか1ヵ月半・7回の授業なのにこれだけ読まなければならないのかと思うと本当に泣きそうでした。毎回授業前に全部読めていたかというと必ずしもそうではなかったのですが、今日提出の課題を書くのに結局大事な部分は読まなければならず、最終的には8割は読んだと思います。他の授業のリーディング教材もこれほど多くはないものの基本的には似たようなもので、そうすると毎日どれだけのリーディング量があるかが自ずと想像がつくかと思います。

ちなみにこのcourse materialsとは何かというと、論文や雑誌記事・教科書の章などをコピーしたものです。著作権料を部分的に支払って合法的にコピーしたもので、学校で売っています。モノによっては結構高くて(特にハーバードビジネススクールのケース教材!!)一つの授業で数万円かかったりするので、図書館で借りて済ませる人もいます。ただ図書館で借りると3時間くらいで返さなければならないので、面倒臭がりの私は基本的に全部買っています。最近読むペースが割と速くなってきたなと実感しています。昨年の今頃よりは確実に進歩しています。苦しみながらも続けていると段々慣れてくるようです。バックグラウンドのない分野のものでもそこそこのペースで読めるようになってきました。もっとも、問題は読んだ内容をどこまで覚えているかであって、そこはまだかなり改善の余地があるのですが…。

ナイ先生の著書には、"The cure to misunderstanding history is to read more, not less." 「歴史の誤解から逃れたければ、歴史を多く読むしかない。少しではだめである。」(Understanding International Conflicts, p.19;訳は日本語版の同箇所を参照)と書かれています。経済学・統計学などの計算問題中心の科目やスピーチなど実技系の科目を除くほとんどの科目では、とにかくたくさん読んでそれらを消化して既存の考え方の流儀(school of thought)を知り、それらを踏まえた上で自分の独自の論を展開するという作業の繰り返しです。それを比較的短期間に行うことを繰り返すことにより、新たな考え方を学ぶのと同時に自分の生産性が上がっていくのかな、と思いながら日々勉強しています。でも今日は疲れたのでもう寝ます。それではオヤスミナサイ。
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by coast_starlight | 2006-11-02 14:29 | 授業のはなし

<授業のはなし> リーダーシップ/小グループセッション

リーダーシップの授業では、週2回の全体授業のほかに週1回の小グループセッションがあります。ここでは8人のグループメンバーがそれぞれのリーダーシップ失敗体験を語り、それについて他のメンバーが議論するというものですが、グループによってはそのやりとりのなかでメンバー間でもめごとがあったり、「何表面的にいい人ぶっているんだ」「あの人は信用できない」という感じでグループの雰囲気が険悪になったりといろいろあるようです。幸い私のグループは今のところ(面子がいいのか)意見の相違はかなりあるものの、極力感情的にならず建設的な議論に結び付けようという考えで皆いるので、大きなもめごとはなくやっています。でも実は、このメンバー間のやりとりというのが学習のポイントだったりします。一応毎回発表者と議長(権限を与えられた存在ということでdesignated authorityと呼ぶ)が決まっているのですが、実際に議論をリードしていく人は必ずしも議長とは限らず、うまくグループ内をまとめる人やグループの和をあえて乱す人、あまりしゃべらないものの最後にボソッと本質的な質問をして議論の方向をそれまでに違う方向に持っていく人など、メンバーそれぞれの習性が回を重ねるごとに見えてきます。私のグループのメンバーはというと、男性4人(メキシコ人/アメリカ人/日本人/フランス人)・女性4人(イスラエル人/アメリカ人/アルゼンチン人/日本人)の計8人で構成されています。

この小グループセッションでの出来事について毎回課題が与えられ、この設問に答えることによりグループ内の力学(各メンバーの位置づけなど)に気づくという流れになっています。設問内容は回を追うごとにややこしくなっていきます。どういう設問があるかというと「セッションの最初の数分間にどういう出来事が起こりましたか?」といったものや「意見を述べようとしたものの述べなかった瞬間はありましたか?その理由は何でしたか?」といったセッション中の自分および他のメンバーの一挙手一投足から行動を分析するような設問があり、真面目に答えようとすると答案をつくるのにかなり時間がかかります。

ところでこの8人の書いた課題を添削する立場の人は、ある意味「電波少年」や「あいのり」を観ているみたいに各個人のコメントを全部まとめて見られる立場にあるので(カップルはできないんだけど)、かなり面白い経験をしているのだろうと思います…。だとするとこれらを添削しているのは誰なのか?という疑問が沸くと思いますが、何とこれは先生ではなくコースアシスタント(CA)という学生が添削するのです。CAとは昨年同じ授業を履修し良い成績をおさめた人がなれるもので、先生の手足となり授業の手伝いをする人です。授業によって単なる雑用や事務作業だけの場合もあれば、この授業のように毎週課題を添削することが仕事の一部だったりと、負担の度合いは同じCAとはいえ授業によってかなり異なります。噂ではこの授業のCAになるのは結構大変らしく、競争率も高かったようです。課題の添削に加え全体授業への出席・授業前後のミーティングへの参加義務があったりと、普通に授業をとるより負担は大きいと思います。時給制で給料が支払われてるとはいえ、割に合うのかな…たぶん先生とのコネができるということと、この授業のCAをやったという実績をレジュメに書けるというのが大きな特典なのでしょう。

場合によっては、自分より年下の人がCAだったりします。先生は授業で「CAを信頼しなければダメだ」とおっしゃるものの、相性もあるしやっぱり皆人間ですから、同じクラスをとっている人に聞くと「あのCAは何かなー」という話は時々聞きます。CAを信頼できるようになるために、履修者として何ができるかというと、オフィスアワーやメール・電話等で毎週の課題に書かれたコメントや採点結果について質問するなどの方法があると思いますが、私は忙しさにかまけてしまいまだ何もしていません。あー、今週でもオフィスアワーに会いに行こうかなー。

毎週月曜日正午が提出期限なので、今この課題を書いているのですが、なかなか時間がかかるんだな、これが…。最初のうちは1~2時間で済んでいたのですが段々難しくなってきて頭が痛いです。こういうストレスがたまるときほどまともな食事がしたくなる…。

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                             そんなわけで今日は一人ステーキ
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by coast_starlight | 2006-10-30 10:11 | 授業のはなし

<授業のはなし> ジョセフ・ナイ教授に会いに行く

現在履修中の国際関係論入門の授業も終盤に入り、今日の授業では情報革命と国際関係の見方の変化について議論しました。情報革命がもたらしたものは、膨大な量の情報が極めて低コスト(場合によってはほとんどタダ)で手に入るようになったことであり、それが新たな力関係を作り上げているという話でした。多国籍企業やNGOが国際関係を語る上で大きな地位を占めるようになり、インターネットがマス対マスのコミュニケーションを可能にした現状では、国際関係を単なる国対国(政府対政府)の問題としてだけでは語れなくなってきています。それにしても授業の中で先生がグーグルアースやユーチューブの話をされたのには驚きました。残念なのは、この授業は半期なので来週で終わってしまうということです。読むべき教材の量は非常に多いですが、今までに体系的に学んだことのない分野なので毎回の授業が新鮮に感じられ、履修して良かったと本当に思っています。


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a0079741_1365915.jpgところで各授業にはオフィスアワーというものがあり、この時間帯(毎週2時間くらい…授業による)は学生が教授に個別に質問しに行けるようになっています。私も今ナイ教授の授業をとっているので、今月末にその授業が終わるまでに一度は行こうと決意し、予約をとった上で先週行ってきました。午後の約15分間、ナイ教授を独り占めした時に話した内容を一部再現したいと思います。ナイ教授と直接話すとなると多分緊張するだろうな…と思って(緊張しました)あらかじめ質問したいと思っていた内容を紙に書いて行き、それを確認しながらメモをとっていたので、何だかインタビューをしている気分でした。

「先生に質問があります。この授業で習ったことを目に見える形で(in a tangible way)実感するにはどうすればいいでしょうか?なぜこのような質問をするかというと、おそらく私が日本人であることが関係していると思います。というのも、日本人は目に見えるものに価値を置くというか、目に見えないサービスなどをそれ自体で評価してお金を出すという文化があまりできていないと思うからです。例えば日本にはチップの習慣はなく、サービスは飲食そのものの値段に入っているという考え方です。また、私が日本で働いていた頃、営業の人から「国内案件では設計料・技術料という名目でお金を請求しにくい。だからその分を製品の値段に上乗せして請求しないとお金がとれない。』と聞いたことがあります。何ていうんでしょう、目に見える形のものに信頼をおく傾向があり、自分もそこから抜け出せないでいるようなのです。授業ではリアリズム・リベラリズムとか国際関係の理論を学んでいますが、これらを学んだ成果を目に見える形で実感するのにてこずっている自分がいるのです。」

「その考え方は面白い。しかし日本にも茶の湯や生け花といったintangibleな素晴らしい文化があるではないか…それはそうと、この授業で学んで欲しいのは、人々が持っているさまざまな前提条件・仮説(assumptions)を理解する(appreciate)ことなんだよ。例えば北朝鮮の核実験を受けて、今後日本は核武装化の方向に向かうかどうかという議論を(日本を外から見る立場の人が)する場合、その議論の下地となる考え方が議論する人の立場によって違うわけだ。リアリズム的考え方だとこうなる、リベラリスト的考え方だとこうなるとか、その違いをわかった上で議論をすることが、複雑な問題を考える上で大事なのだよ。だから理論を学ぶ必要があるわけだ。また(理論を学ぶことにより得られる)知識・経験に基づいた直感(educated intuition)を養うことにより物事が見えてくるようになる。」

「なるほど。おっしゃったことを踏まえると、理論はそれに加えて、予測が不可能な未来の出来事に対する意思決定を正統化(legitimize)することへの手助けになるということとも言えると思います。以前民間企業で海外案件に関わっていた時、政治リスクはどうしようもないという考えでいたのですが、こういうことを勉強すれば政治リスクを理解するのに役立つような気がしました。」

どうやら私の学習の成果が上記で質問したような「目に見える形で」実感できるようになるにはまだ時間がかかりそうですが、おぼろげながらも国際関係論を学習することの意味が見えてきたような気がしました。


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私が今回の会話でナイ教授の根底に感じたのは、多様な価値観を尊重しなければならないという思想です。専門分野でのご活躍だけでなく、世界各国からあらゆる背景の人が学びに来るここケネディスクールで長年学校長を務められたことも関係しているかもしれません。私のいわゆる「ナイーブな」質問にも、私が国際政治とは全く関係ない分野から来ていることや日本人であるということからくる考え方や視点の違いを考慮した上で真摯に答えて下さる姿勢を感じ、大変感動しました。

せっかくの記念だから…ということでサインをもらうことを忘れませんでした。サインは私だけのものですから、本の表紙だけで勘弁してください。
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※注:あくまで私はナイ教授が上記の旨のことをおっしゃったと理解しているということであり、実際一字一句その通りにおっしゃったわけではありません。従ってくれぐれも何かに引用されることのないようお願い致します。
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by coast_starlight | 2006-10-19 13:12 | 授業のはなし

<授業のはなし> 私の大好きなあなたへ

心当たりのある人もない人も、自分宛の手紙だと思って読んでみてください。でもあまり本気にして読んだら、「何じゃこりゃ」と一瞬裏切られた気持ちになるかもしれないことを先にお伝えしておきます。


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お元気ですか。私は元気です。9月から秋学期が始まって以来、毎日リーディング課題や演習問題に追われている日々です。

突然ですが、世の中のあらゆる状況を数値で摑むにはどうすればいいと思いますか?例えば日本で子育てをするには子供に教育費がかかると言うけど実際のところはどうなの?と思って中学3年生一人あたりに保護者がかけている教育費は一体どれくらいなのかを調べたくても、全ての中学3年生がいる世帯について調べるわけにはいかないよね。お金と手間がかかることはもちろん、母集団が一体どれだけあるのかを知ることが困難だし。そのため、全体のうちの一部をランダムに抽出してそれらについて調べることにより全体について推測するのが最も現実的な方法です。このランダムに抽出されたものを標本データといいます。標本データはこの例のような平均値の他にも、比率(例:支持=1、不支持=0とした場合の安倍政権の支持率)や差(例:喫煙者と非喫煙者での肺がん罹患率の差)の形をとることもできます。

で、この標本データから母集団の分布を推定するわけだけど、この推定方法には2つのステップがあります。最初のステップは点推定といって、標本分布のデータをもとに母集団の分布の平均値・比率・差といったパラメータがだいたいこれくらいではないか、とピンポイントで当たりをつける作業です。次のステップは区間推定といって、点推定で推定したパラメータ自体のバラツキや、○%信頼区間(その区間内に推定値が入るということを○%の自信を持って言える、ということ)を示す作業です。また、仮説検定といって、母集団についての仮説が正しいかどうかを調べる方法もあります。

例えば中学3年生のいる世帯1000世帯にアンケート調査を行った結果、教育費の平均値(標本平均)が年間30万円で標準偏差が5万円だったとします。そうすると、その標本平均の標準誤差を計算すると(計算過程は興味があったら教えてあげるけど…)約1600円になるのですが、これは1000世帯に対するアンケート調査を何回も繰り返した場合、その平均値の標準偏差が約1600円になることを意味します。この計算結果をもとに信頼区間というものが計算できるのですが、それを計算すると(これも知りたかったら教えてあげる)、例えば95%信頼区間は

29万7千円<標本平均の期待値<30万3千円

となります。これは、「1000世帯に対するアンケート調査を何回も繰り返した場合、『教育費の平均値が29万7千円から30万3千円の間に入る』と言えばそれは95%の確率で正しい」ということです。逆に言えば残りの5%の確率で平均値がこの範囲から外れた値になる可能性があるということです。

一方、文部科学省が「いや、教育費の平均値が28万円だ」という説を唱えている場合、この説が正しいかどうかを調べるのに使うのが仮説検定です。まず「教育費の平均値が28万円だ」という仮定を立てて、この仮定が上記で求めた信頼区間の中に入るかどうかを見ます。95%信頼区間でみると(5%の有意水準で、とも言います)この場合は入るので文部科学省が言っている仮説は棄却できる「、つまり文部科学省はウソをついている(あくまでこの問題の設定上、ですよ)ということになります。

これは統計学の限界だと思うのですが、95%信頼区間や99%信頼区間は計算で決められても100%信頼区間は定められない(無限大になる)ので「これだ」と言い切れない歯がゆさを感じるかもしれません。でも世の中の出来事って「そういうものだ」と100%言い切れるものはないと思います。だから真理を明らかにすることではなく、誤謬をできるだけ減らすことに意義があると考えれば、これらの統計学的手法を学ぶことは今後統計資料を作ったり、あるいは統計資料を正しく解釈したりするスキルを身につけるのに非常に役立つと思います。それに、世の中を見る方法っていろいろあると思うけど、数値で世の中のスナップショットを得るのにこんな方法があるのだと知って、毎回の授業で私は興奮していました。そのうれしさをどうしてもあなたに伝えたくて、ついつい統計学について熱く語ってしまいました。頭のいいあなたのことだから、私のこの気持ちわかってもらえるかなと思って…。ナイーブだとかいって軽蔑しないでね。

こちらマサチューセッツ州はそろそろ紅葉シーズンに入ってきました。今週末はちょっと行けそうにないけど、来週末あたりクラスメートを誘って行ってみようかと思っています。去年は10月の週末はあいにく全部雨だったので、今年が最後のチャンスです。日本は紅葉まだかな?こちらの紅葉はかなりきれいらしいけど、私はやっぱり自分の生まれ故郷である京都の紅葉が一番きれいだと思っています。

それじゃ健康に気をつけてお互い頑張ろうね。


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実はこれ、今週の統計学の宿題なんです(もちろん提出する文面は英語ですが)。今回の演習問題はかなり変わっていて、毎回3問出されるのですがそのうちの1問が、

「先日友人から電話がかかってきて近況を聞かれました。あなたが統計学の先生の教え方や宿題の分量についてぼやいた後、その友人(統計学を学んだことがないという想定)から『今統計学の授業でどんなこと勉強してるか説明して』と言われました。あなたは彼に対して(なぜか男という設定)、今までの授業で学んだ重要な概念およびそれらがどう結びついているかを説明するメールを書くことにしました。どんなことを書きますか?ただし、文面では推定量・推定値・標本分布・信頼区間・仮説検定について触れること。」

というものでした。相手に対する思い入れの度合いによって語る熱意の度合いが変わってくるだろうと考え、とりあえず「私の大好きなあなた」を想定しその人に対して授業で学んだことを熱く語っている自分を想像(妄想?)しながら文面を考えました。(間違っているところがあれば教えてください!)

この授業の演習問題は計算問題に加えこういった「書かせる系」の問題が多いです。統計学の素養のない人に対して、専門用語を使わなくても本質が伝わるように言語化する能力の重要性を授業でも強調されます。今回の問題は半ばこじつけに近い感じもしなくはないですが、今までに出た演習問題では、エイズウイルス検査の信頼性についての計算問題の後、「UNAIDS(国連エイズ計画)に対して、全ての大人を対象にエイズウイルス検査を推奨するかどうか、また推奨度が国によって異なるかどうかについて2~3パラグラフでレターを書きなさい」というものもありました。実際の業務の場ではこういったスキルが重要になってくるということだと思います。


「私の大好きなあなた」は…今のところいないので、今回はひとまずイモムシさんに代役をお願いしました。真面目に考えると机の前でこのイモムシに向かって、しかも統計学について語りかけている姿はかなり滑稽に映るかもしれませんが、その辺はあまり追及しないでください。

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※今朝(10/10)見直していたら、標準誤差を計算するときに位取りを間違えていたことに気づき、慌てて直しました。仮説検定の結論も変わっています。お恥ずかしい限りです…。「私の大好きなあなた」に対する熱意が足りなかったみたいです。
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by coast_starlight | 2006-10-08 14:40 | 授業のはなし