<   2006年 10月 ( 18 )   > この月の画像一覧

<日々の出来事> Eat to Live or Live to Eat?

私はよく友人知人にこんなことを言います。

"There are two types of people - people who eat to live and people who live to eat. I think I am the latter."
「世の中には、生きるために食べる人と食べるために生きる人の2タイプがいると思うんだ。私は後者だと思っているんだけど。」

食べることは生命維持のために不可欠な行為です。したがって"eat to live"の考え方はある意味正しいと思います。でもこれだと食べている(→消化している)のはまさに食材だけで、動物がエサを食べるのとあまり変わらないと思います。それに、"to live"=「生命維持」だけでしょうか?その場の雰囲気や一緒に食べる相手は、食生活を精神的に豊かにするために重要な要素だと思います。最高級の食材を使った料理でも、嫌いな人と一緒に食べる食事は、胃袋を満たしてはくれますがあまりおいしく感じられないと思いませんか?食材だけでなく食事の場全体を含めた食生活に向上心を持つ(live to eat)ことは、人生を豊かにし心身ともに健康にいるために重要だと思います。一人暮らしをしていると普段家で食べる食事は一人でしますが、たまに一緒に食べて楽しいと思える友人知人を持っておかないと日々の食生活が精神的に貧相になってしまうと切に感じます。また年を経るにつれ自分が一緒に食事したいと思う相手と都合をつけるのが難しくなり、またそういう人に限って特に忙しかったりするので、人と食べに行く機会が減ってしまうなーと感じています。そのため各種イベント(懇親会/食事つき)に参加したりするのですが、なかなか初対面の人と何を話していいかわからずかえって気疲れしたり…難しいものです。もっとも初対面の人と打ち解けるもっとも手っ取り早い方法は一緒に食事することだと思うので、その重要性は十分認識しているつもりなのですが。

冒頭で人は"eat to live"と"live to eat"の2タイプに分かれると言っていますが、実際は状況によって両方あり得るのでは…とも思います。(私の場合は後者がメインであり、そうありたいと思っているということです。)家で一人で食事するときも、たまにはちゃんと準備して食べるようにしないと"eat to live"状態になるので、少しでも"live to eat"を実践するよう心がけたいところですが、忙しいとそうもいかなくて…。そんなわけである程度頭を使った手抜き料理(石焼ビビンバもその一つ)を何品かレパートリーとして持っておくことが大事だと思います。


-----
今ふと思いついたのですが、eat→drinkに変えるとどうなると思いますか?食事と違って飲み(アルコール)は別になくても生物学的にいう生命維持は可能ですよね?「いや、僕/私にとっては生命維持のために不可欠だからdrink to liveなんだ!」という人もいるかもしれませんね。実際のところどうなんでしょう?わかる方は是非教えて下さい。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-19 08:43 | 日々の出来事

<交通のはなし> 鉄道の日

そういえば今日(10月14日)は鉄道の日だった…というわけで少しは鉄道の日らしいイベントを、と思い勉強の息抜きに一人DVD鑑賞会を行いました。1872年のこの日に、新橋~横浜(現・桜木町駅)間に日本初の鉄道が開通しました。それから130年以上が経ち、開業当時時速三十数キロで走っていた鉄道が今は360キロ(JR東日本が開発中のFASTECH360)を目指すまでになりました。その差、約12倍!車両のスピードだけでなく乗り心地の良さ(居住性・騒音・振動)や鉄道の走行を支える地上インフラシステムの進歩にも目覚しいものがありました。この間の鉄道技術の進歩、およびその技術開発に携わってきた人たちの努力を思うと目頭が熱くなります。鉄道業界に身を置く者として、今いる環境で学んでいることが卒業後日本の鉄道技術を海外に売り込むのに少しでも役立てば…と気持ちを新たにしました。

a0079741_1361851.jpg今回見たDVDは「草軽電気鉄道」。草軽電気鉄道は、大正4年7月22日に新軽井沢~小瀬温泉間の蒸気運転にに始まり、最終的には電化し草津温泉まで延伸しました。場所柄高原の避暑地および温泉に観光客を運ぶだけでなく、戦時下は戦地へ向かう兵士を運ぶ役割も担っていたそうです。しかし終戦直後に国鉄長野原線(現在の吾妻線)が上越線渋川~長野原(現在の長野原草津口)間の旅客営業を始めたことに伴い乗客は減り始め、これに自然災害(台風)が追い討ちをかけました。昭和35年には草軽鉄道の乗客は全盛期の約8分の1の5万6千人に激減し、昭和37年、惜しまれながら廃線となりました。現在も草津温泉に行こうと思うと鉄道はなく、長野原草津口駅からバスに45分くらい乗らなければなりません。

ところでこのDVDの映像は廃線直前の昭和33年~37年の間に撮られたものです。8ミリ映像の質が時の流れを表していると思いました。ここで働く車掌さんや乗客は一体何を考えていたのでしょうか…まさか40年以上経ってからここアメリカで自分たちの姿が見られているなんて思いもしなかったでしょう。

a0079741_1365981.jpgこのDVDは(日本の)大学院時代の同級生が送ってくれたものです。研究室が交通関係だったので、同級生には鉄道やバス好きが多く(というかほとんど全員)、よく鉄道関係のネタで盛り上がることがよくありました。最近はあまりそういうこともなく懐かしい思いになりました。このDVDには他にも九十九里鉄道・松本電気鉄道浅間線・越後交通栃尾線の映像も入っているので少しづつヒマをみて一人鑑賞会を開く予定です。

ほかにも、こちらに持ってきていたグッズを眺めながら日本の鉄道に思いを馳せていました(ちょっと路線は違うかもしれませんが)。写真は、今はなき蒲原鉄道・新潟交通・(これは今でもある)西鉄宮地岳線の切符および廃車になった200系新幹線の銘版です。入手ルートは秘密です。なお、これらはプレゼントコーナーの品物にはなりませんのであしからず。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-15 13:12 | 交通のはなし

<日々の出来事> リライアブル・マーケット

今日はお昼にハーバード日本人会の集まりに行った後そこで会った友人がそのまま私の家に来ることになり、アイスクリームを食べながら「そういえば、買い物行かない?」という話になって、彼女の車で一緒にリライアブル・マーケットという韓国系スーパーに連れて行ってもらいました。ここは韓国系ですが日本のものも多く取り揃えてあり、日本人もよく行くスーパーの一つです。私もその存在は知っていたものの、車がないと不便な場所にあるため今までなかなか行く機会がありませんでした。しかしいざ行ってみるとその品揃えの豊富さにゾッコン。日本ではなかなか手に入らない韓国系食品があるのに感動し、「すごい!サムゲタンセットがある!」「コチュジャンだけで店の中に一つのコーナーができてるよ!」「冷凍カルグクス(うどんの一種)なんて初めて見たよ!」とか一人でブツブツ言いながら店中をキョロキョロ見て歩いていました。その一方で納豆も10種類くらいあったりと日本人客もかなり意識しているようで、リライアブルという名の通り信頼のおけるスーパーを目指しているという努力を感じました。もっとも、お菓子の種類も豊富で目の着くところにたくさん置いてあるのは子供を意識したある意味スマート(クレバー?)な経営だと思いましたが…。

このスーパーに行ったら絶対買おうと思っていたのがナムルとコチュジャン。これでビビンバをつくるのが私の渡米以来ずっと持ち続けていた夢でした。というのも日本でずっと使っていた石鍋を持ってきたにもかかわらず食材を買う機会がなく、ずっと食器棚の中で眠っていたからです。でも今日はその石鍋がいつにも増して光り輝いて見えました。

ナムルセットは量が多いので、あと2回くらいはビビンバが食べられそう。調理時間が10分もかからず、なおかつ栄養価の高い石焼ビビンバは、時間がないときにお勧めですよ!私も東京で働いていた頃、帰りが遅くてゴハンをつくるのが面倒なときはよく石焼ビビンバを家で食べていました。

石焼ビビンバは自宅でも手軽に作れます。下記に作り方を書いておきましたので是非お試しください。


☆石焼ビビンバのつくりかた☆a0079741_922746.jpg

準備するもの:

食材
・ナムルセット(日本だとスーパーでも売っていると思います)
・ごはん
・卵の黄身(余談ですが、韓国語で卵のことをケラン(鶏卵)と言います)
・コチュジャン(ナムルセットについていることもありますが、好みに応じて足してください)
・キムチ(これも好みに応じて)
・ごま油

食器…揃えると本格的な韓国料理を食べている気分になります
・石鍋(私は日本にいた頃ジャスコで1000円くらいで買いました)
・スジョ(金属製のスッカラク(スプーン)とチョッカラク(箸)のセット)

1.コンロに石鍋をかけ、7分くらいかけて熱する。
2.熱した石鍋にごま油を入れ、均一に広げる。
3.ごはんを入れる。この時、ジューッという音がしない場合は、まだ熱し方が足りないかもしれません。
4.ナムルをごはんの上に乗せ、中心部にコチュジャンをかける。
5.コチュジャンをかけた部分に溝をつくり、そこに卵の黄身を入れる。
(一部のビビンバ屋で白身も入れているところがありますが、黄身だけのほうがおいしいと思います)
6.できあがり。豪快にかき混ぜて食べてください。

好みでキムチを入れる人もいますが、韓国人に言わせるとビビンバがすっぱくなるからそれは「えぇ~っ!」という感じなのだそうです。でも自分が好きなように食べればいいと思います。私も時々入れます。私はコチュジャンをふんだんに入れて思いっきり辛くするので、混ぜたらゴハンが真っ赤になっています。これを食べたおかげで体が熱くなってきて「さあ勉強しよう」という気分になってきました。その前にこれを書いていたりするんですけどね…。

なお、写真上でスプーンと箸の位置が逆になっているような気がしますが、そこはご愛嬌ということでご勘弁願います。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-15 09:06 | 日々の出来事

<日々の出来事> ハーバードシャトル

ハーバード大学には Evening Van(通常シャトルと呼ぶ)というサービスがあります。これは、午後7時~深夜2時半までの間、一定区域内で好きなところから好きなところまで運んでくれる一種の乗り合いタクシーです。しかも無料!学校からの帰りに限らず、買い物・飲み会・友達の家に遊びに行った帰り…理由は何でも構いません。所定の番号に電話し、今自分のいる場所・目的地を伝えれば、シャトルが近くに来たら折り返し電話がきて、それから外に出てしばらく待てば車が来る、というシステムです。曜日や時間帯によって電話してから車が来るまでの時間にかなりバラツキがあるのは否めませんが、何と言っても楽チンだし、今後寒くなってくるとありがたみが増すような気がします。他にもエスコートサービスといって、(車が乗り入れできない)キャンパス構内などで夜中移動しなければならない時に誰かが付き添ってくれるというサービスもあります。ハーバード大学周辺がとりたてて治安が悪いわけではありませんが、万全を期してこれらのサービスを提供している、ということだと思います。

実は先月引越ししたのは、シャトルのサービス区域内に住みたいというのが主な理由でした。前の家は地下鉄で3駅のところだから、日本で働いていた頃(片道1時間)と比べればはるかに近かったものの、駅が大きいから駅に入ってから歩かされるし、電車はすぐ来ないし(時刻表がないのでいつ来るかわからない)、で電車通学がかなりストレスのもととなっていました。というわけで現在私はシャトルの愛用者です。9月に入ってから週3回くらいのペースで利用しています。今は電車通学のストレスがない分勉強に集中できている…はず。

運転手さん、いつもどうもありがとう!
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-12 12:02 | 日々の出来事

<授業のはなし> 私の大好きなあなたへ

心当たりのある人もない人も、自分宛の手紙だと思って読んでみてください。でもあまり本気にして読んだら、「何じゃこりゃ」と一瞬裏切られた気持ちになるかもしれないことを先にお伝えしておきます。


-----
お元気ですか。私は元気です。9月から秋学期が始まって以来、毎日リーディング課題や演習問題に追われている日々です。

突然ですが、世の中のあらゆる状況を数値で摑むにはどうすればいいと思いますか?例えば日本で子育てをするには子供に教育費がかかると言うけど実際のところはどうなの?と思って中学3年生一人あたりに保護者がかけている教育費は一体どれくらいなのかを調べたくても、全ての中学3年生がいる世帯について調べるわけにはいかないよね。お金と手間がかかることはもちろん、母集団が一体どれだけあるのかを知ることが困難だし。そのため、全体のうちの一部をランダムに抽出してそれらについて調べることにより全体について推測するのが最も現実的な方法です。このランダムに抽出されたものを標本データといいます。標本データはこの例のような平均値の他にも、比率(例:支持=1、不支持=0とした場合の安倍政権の支持率)や差(例:喫煙者と非喫煙者での肺がん罹患率の差)の形をとることもできます。

で、この標本データから母集団の分布を推定するわけだけど、この推定方法には2つのステップがあります。最初のステップは点推定といって、標本分布のデータをもとに母集団の分布の平均値・比率・差といったパラメータがだいたいこれくらいではないか、とピンポイントで当たりをつける作業です。次のステップは区間推定といって、点推定で推定したパラメータ自体のバラツキや、○%信頼区間(その区間内に推定値が入るということを○%の自信を持って言える、ということ)を示す作業です。また、仮説検定といって、母集団についての仮説が正しいかどうかを調べる方法もあります。

例えば中学3年生のいる世帯1000世帯にアンケート調査を行った結果、教育費の平均値(標本平均)が年間30万円で標準偏差が5万円だったとします。そうすると、その標本平均の標準誤差を計算すると(計算過程は興味があったら教えてあげるけど…)約1600円になるのですが、これは1000世帯に対するアンケート調査を何回も繰り返した場合、その平均値の標準偏差が約1600円になることを意味します。この計算結果をもとに信頼区間というものが計算できるのですが、それを計算すると(これも知りたかったら教えてあげる)、例えば95%信頼区間は

29万7千円<標本平均の期待値<30万3千円

となります。これは、「1000世帯に対するアンケート調査を何回も繰り返した場合、『教育費の平均値が29万7千円から30万3千円の間に入る』と言えばそれは95%の確率で正しい」ということです。逆に言えば残りの5%の確率で平均値がこの範囲から外れた値になる可能性があるということです。

一方、文部科学省が「いや、教育費の平均値が28万円だ」という説を唱えている場合、この説が正しいかどうかを調べるのに使うのが仮説検定です。まず「教育費の平均値が28万円だ」という仮定を立てて、この仮定が上記で求めた信頼区間の中に入るかどうかを見ます。95%信頼区間でみると(5%の有意水準で、とも言います)この場合は入るので文部科学省が言っている仮説は棄却できる「、つまり文部科学省はウソをついている(あくまでこの問題の設定上、ですよ)ということになります。

これは統計学の限界だと思うのですが、95%信頼区間や99%信頼区間は計算で決められても100%信頼区間は定められない(無限大になる)ので「これだ」と言い切れない歯がゆさを感じるかもしれません。でも世の中の出来事って「そういうものだ」と100%言い切れるものはないと思います。だから真理を明らかにすることではなく、誤謬をできるだけ減らすことに意義があると考えれば、これらの統計学的手法を学ぶことは今後統計資料を作ったり、あるいは統計資料を正しく解釈したりするスキルを身につけるのに非常に役立つと思います。それに、世の中を見る方法っていろいろあると思うけど、数値で世の中のスナップショットを得るのにこんな方法があるのだと知って、毎回の授業で私は興奮していました。そのうれしさをどうしてもあなたに伝えたくて、ついつい統計学について熱く語ってしまいました。頭のいいあなたのことだから、私のこの気持ちわかってもらえるかなと思って…。ナイーブだとかいって軽蔑しないでね。

こちらマサチューセッツ州はそろそろ紅葉シーズンに入ってきました。今週末はちょっと行けそうにないけど、来週末あたりクラスメートを誘って行ってみようかと思っています。去年は10月の週末はあいにく全部雨だったので、今年が最後のチャンスです。日本は紅葉まだかな?こちらの紅葉はかなりきれいらしいけど、私はやっぱり自分の生まれ故郷である京都の紅葉が一番きれいだと思っています。

それじゃ健康に気をつけてお互い頑張ろうね。


-----
実はこれ、今週の統計学の宿題なんです(もちろん提出する文面は英語ですが)。今回の演習問題はかなり変わっていて、毎回3問出されるのですがそのうちの1問が、

「先日友人から電話がかかってきて近況を聞かれました。あなたが統計学の先生の教え方や宿題の分量についてぼやいた後、その友人(統計学を学んだことがないという想定)から『今統計学の授業でどんなこと勉強してるか説明して』と言われました。あなたは彼に対して(なぜか男という設定)、今までの授業で学んだ重要な概念およびそれらがどう結びついているかを説明するメールを書くことにしました。どんなことを書きますか?ただし、文面では推定量・推定値・標本分布・信頼区間・仮説検定について触れること。」

というものでした。相手に対する思い入れの度合いによって語る熱意の度合いが変わってくるだろうと考え、とりあえず「私の大好きなあなた」を想定しその人に対して授業で学んだことを熱く語っている自分を想像(妄想?)しながら文面を考えました。(間違っているところがあれば教えてください!)

この授業の演習問題は計算問題に加えこういった「書かせる系」の問題が多いです。統計学の素養のない人に対して、専門用語を使わなくても本質が伝わるように言語化する能力の重要性を授業でも強調されます。今回の問題は半ばこじつけに近い感じもしなくはないですが、今までに出た演習問題では、エイズウイルス検査の信頼性についての計算問題の後、「UNAIDS(国連エイズ計画)に対して、全ての大人を対象にエイズウイルス検査を推奨するかどうか、また推奨度が国によって異なるかどうかについて2~3パラグラフでレターを書きなさい」というものもありました。実際の業務の場ではこういったスキルが重要になってくるということだと思います。


「私の大好きなあなた」は…今のところいないので、今回はひとまずイモムシさんに代役をお願いしました。真面目に考えると机の前でこのイモムシに向かって、しかも統計学について語りかけている姿はかなり滑稽に映るかもしれませんが、その辺はあまり追及しないでください。

a0079741_143138100.jpg


※今朝(10/10)見直していたら、標準誤差を計算するときに位取りを間違えていたことに気づき、慌てて直しました。仮説検定の結論も変わっています。お恥ずかしい限りです…。「私の大好きなあなた」に対する熱意が足りなかったみたいです。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-08 14:40 | 授業のはなし

<授業のはなし> 期待-実際の行動=罪悪感

今学期とっているリーダーシップの授業が本格的になってきました。毎週木曜日の授業では、その週に行われた小グループでのディスカッション結果について全員の前で話すことになっています。どのグループが当たるかはくじ引きで決まります。グループは14あるのになぜか先週・今週と私たちのグループが当たってしまいました。先週(初回)は単なる顔合わせに近いミーティングだったので全員が大教室の前に出て各々がグループおよび初対面だったメンバーについて語るという内容で特に難しくはなかったのですが、今週からはグループのうちの一人がリーダーシップの失敗事例について話すことになっており、今日は今週の発表者が大教室の前で話をしていました。今回のケースは大まかに言うと、フランス人エンジニアの発表者がカザフスタンでのプロジェクトに従事した際、プロジェクトのために雇用したロシア人スタッフがディスコで女性に対する不祥事を起こしたため彼らをクビにしなければならず、それが原因でこのような異なる文化背景のスタッフが入り混じるプロジェクトの成功に不可欠なcultural integrationに失敗したという話でした。彼自身そのスタッフとそれまではうまくやっており、また仕事もできる人だったので、クビにしなければならないのが辛かったということでした。

今日の授業で先生が言われたことでガツンと頭を打たれたようなショックを受けたのが、上記タイトルにある概念です。確かこんな表現で言われていたと記憶しています。

Guilt is the difference between what you are expected to do and your actual behavior.

自分の属する家庭や国・宗教といった背景から自分に対して期待されている役割と実際の自分のとる行動が異なるときに人は罪悪感を感じるということを先生はおっしゃっていました。この差が大きいほど感じる罪悪感の度合いが大きいということです。もちろん感じ方には個人差があると思いますし、何で罪悪感を感じなければいけないの?と思える人もいるかもしれません。そういう人は幸せだと思います。でも私にとってこの先生の一言は衝撃的でした。

そもそも自分への期待とは何なのでしょうか?例えば仕事ならある程度はっきりしていると思います。私が日本で働いていた会社では職種・階級別に従業員に期待される役割が明文化されています。(余談ですが、この言語化する作業は結構大変だったそうです。)しかし家庭や国だとかなり漠然としています。でも漠然としているからといって期待される役割がないわけではありません。例えば私の場合だと日本人女性として、京都に生まれ育った人間として、今いる親の元に生まれた子として、ケネディスクールで学ぶ者として、その後卒業生として…などなどに由来する、周りが期待する役割があると思います(この「周り」というのが曖昧模糊で曲者なのがこれまた問題なのですが)。また、その期待の大きさは実際に「周り」がかけてくる期待の大きさに加え、それを各個人がどう受け止めるかという性格にも左右されます。

今回の発表者の場合、プロジェクトマネージャーとして期待されていた役割に加え、フランス人として、また彼の家庭環境などから期待されていた役割というものがあり、彼個人としてそれに応えられなかったという罪悪感もこの経験が失敗だったという認識につながっているのだと思います。一方、不祥事を起こしたスタッフをクビにしたという決断は必ずしもリーダーとして間違った決断ではなかったと思います。従って今日の授業でも「これってリーダーシップの失敗事例なの?」といった意見を述べる人も何人かいました。しかし彼自身が失敗だと思い罪悪感を感じているのだから、「罪悪感を覚える彼」がなぜいるのかを分析しなければなりません。(この分析結果をレポートにまとめるのが今週末の課題)

-----
では、罪悪感を感じないためにはどうすればよいのでしょうか?上記の式だけを見たとき考えられる方法としては、以下のような方法が考えられると思います。

1 期待と実際の行動を近づける(罪悪感→0)
2 期待レベルを下げる(罪悪感→マイナス) 
   ※罪悪感がマイナスということはおめでたい度が高いということでしょうか?何ともいえませんが…。
3 期待を期待と感じない
   (∵罪悪感は自分の認識から生まれてくるものだから期待を期待と感じなければ(当人から見て)期待がないことと等しい…はず)

この中で2は相手あってのことなので自分ではどうにもなりませんが、1と3は自分でどうにかなります。場合によっては、1が可能であればもう既に自分の行動を変えているでしょうから、1を行うことは精神衛生上必ずしも良くない(∴自分の行動を今まで変えていない)かもしれません。そうすると残された選択肢は3ということになります。期待を期待と感じないためにはどうすればよいか?要は人の言うことを気にしないというか、額面どおり受け止めずその発言の背景をひたすら分析して自分自身の気持ちに折り合いをつける作業を行うことだと思います。頭でわかっていても、これが難しいんだな…。

こんなことを考えていたら、また眠れない夜が続きそうです。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-06 13:12 | 授業のはなし

<授業のはなし> 統計学

a0079741_13513615.jpgつい先ほどまで、統計学の授業の宿題(毎週出る演習問題)を解いていました。今回は面倒な内容の問題が多くて7時間くらいかかってしまいました。毎回大問が3問出題され、それぞれについてExcelやStata(統計ソフト)を用いて計算し答案をつくっていきます。解答そのものだけではなく解析につかったデータログもつけるため、提出する答案は結構な枚数になります。今回は15枚になりました。

今学期私は国際開発コース(MPA/ID)向けの統計学の授業をとっています。この授業で扱う内容は、まず確率論の話(場合の数・条件つき確率)に始まり仮説検定や回帰分析といった、「統計学」と名のつく授業ならおそらくどこでも扱うであろう内容だと思いますが、私がすごいと思ったのは演習問題で扱うデータです。一体どういうルートで仕入れてきたのだろうと毎回疑問に思うものばかり。例えば初回の演習問題では某国の大統領選挙で不正があったかどうかを確率論的に調べるという内容だったのですが、その国の約13万箇所の投票所の生データが与えられ、それをエクセルを使って分析するというものでした。その生データからランダムに100個のサンプルをとり(Excelで乱数を発生させる関数を使う)その平均を計算し、それを100回繰り返して…という作業をExcel上でやっていたのですが、工夫してやらないとパソコンが固まってしまいます。先々週はデータをセーブするのをうっかり忘れて泣きを見ました。

今回の演習問題のうちの1問は、ブルキナファソで行われたフィールドワークのデータ(農地面積・生産量など)を与えられ、データを基に信頼区間を計算し仮説検定を行うというものでした。データはフィールドワークをやった本人から仕入れたそうですが、こういうコネクションがあることがケネディスクールの先生の価値なのかな、と思いました。この授業に限らず、たぶんケネディスクールで学ぶ内容自体は他の学校とあまり変わらないかもしれませんが、どういう題材を使って学ぶかというところで他の学校とは違う価値を生み出しているのだと思いました。

こちらの時間では夜1時近いですが、明日は3つ授業があるのでその予習もしなければ…。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-03 13:54 | 授業のはなし

<考え方> それが筋だ、って言われても…

今までの私の人生において、学業面や友人関係でトラブルが起こり、人を怒らせたり不快感を与えてしまったことがたびたびあります。そういう時一番言われて「ぎゃふん」という気持ちになるのが、「…するのが筋じゃないのか」という言い方で不快感を表されたときです。トラブルの原因は私の怠慢や能力不足・手違いといった私の側に問題がある場合もあれば、お互いの認識や考え方の違いが原因の場合もあります。そういうとき、相手を怒らせてしまったのは事実だからそれについては何はともあれ謝りたいと思い謝ります。でも私がいつも思うのは、

「『あなたのその行為/言動に対して、僕は/私は腹が立った』という言い方で十分なのに、どうして『…が筋じゃないのか』と客観性の鎧をまとわないと自分が不快だと言えないのだろう?世の中の一般的価値観(ほかの人が同じ状況に陥ったときに多くの人はどう思うか)はどうでもよくて、ほかでもない彼/彼女に不快感を与えてしまったという個別の事実が私にとっては重要なのに…。」

ということです。そうは言っても正面きって「あなたを怒らせてしまったことについては謝ります。しかし私は必ずしもそれが筋だとは思っていません。」と言ってしまうとたぶんケンカになってしまいます。だからたいていの場合はそこまでは言わないでひたすら謝ります。(かなり信頼のおけると思っている相手なら正面きって言う可能性もありますが…。)

つきつめて考えれば「自分が不快感を抱いた」ということと「それが筋かどうか(世の中の道理にかなっているかどうか)」は別問題です。それに「僕/私が世の中の道理だと思っている考え方に外れたことを君はしたんだ。だから不快だ。」という言い方はある意味かなりきつい言い方だと思います。これらのことに気づかずにお互いが自分の正当性を述べ始めたりスジ論になってしまうと収拾がつきません。

なぜこのようなことを考えたのかというと、英語で会話をしていると、腹が立ったときそういう言い方している人を聞いたことがないなーと思ったからです。「それが筋ではないか」というのを英語にすればおそらく「I think that's the way it should be」とでもなるのでしょうが、たぶん英語でこう言ってもその後に「I'm upset/annoyed/frustrated/uncomfortable」などとつけないとほかの人に対して自分の不快感は伝わらないと思います。単に「So?」と思われて終わりです。

-----
日本語には「筋を通す」という表現があります。自分なりの首尾一貫性を保ちつつ、自分自身に対して説明責任を果たす(to be held accountable)べく私も日々生きているつもりではありますが、自分が筋だと思っている信念はあっても「それが筋じゃないの」と人に言わないように注意しているつもりです。なぜなら、人それぞれ考え方は違うから。Everybody is different. 今いる環境では、このことをイヤというほど思い知らされます。
[PR]
by coast_starlight | 2006-10-02 06:27 | 考え方