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<日々の出来事> パーティーの場において

1月29日(月)から春学期が始まり、久々にクラスメートと再開しました。学期始まりのこの時期、あらゆる場所でパーティーが頻繁に開かれます。パーティーといっても飲み物とおつまみ(クッキーやクラッカーなど)が置いてあってそれを手に持ちながら立ち話をするというだけのものですが、留学生活が終盤に差し掛かってかなり場数を踏んできたはずなのに私はまだこの場が不得意でなりません。というのもこういう場での立ち居振る舞いを見ているとその人の性格が現れるということがわかり、時にちょっとイヤな気分になるからです。

例えば私がAさんと2人で話していたとします。そこにBさんがやってきて、Aさんに「おぉー、久しぶり!元気にしてる?」とか話しかけてきたとします(Bさんのお目当てはAさんであって、私ではない)。ここでBさんが私に一言でも挨拶してくれればまだいいのですが、私とは目もあわせずAさんと新しい話題を作って延々と話し始めたりして「ちょっと待ってよ、私とAさんとのそれまでの会話が…」と置いてきぼりを食らってしまうことが結構あります。「今学期どういう授業取るの?」といった一般的な話題ならまだしも、AさんとBさんしかわからない話題で話し始められたりするとどうしようもない。Bさんが私の知らない人である場合、なおさら感じ悪いです。分別のある人なら「割り込んでごめんなさい」とか「今何話していたの?」とか言ってくれるのですが、意外とこういう人が少ない…。加えてそこにCさんも入ってきてAさんとBさんと話し始めたりしたらもう前の話題なんて完全に忘れられてしまいます。あきらめたほうがいいです。あとは私の知っている相手でも私だったら割り込んでも大丈夫だと思っているのか、何も言ってくれず悲しくなることもあります。そういう態度はちゃんと見ているってば…。あとは、Bさんが去った後のAさんの反応も気になるところです。「さっきは何話していたっけ?」と言って一応話を戻すそぶりを見せてくれるとうれしいのですが、それで一つの「場」が終わった、と解釈して他の人のところへ行ってしまわれたりすると、「Aさんってそういう人なんだ」という気分になります。そのときに一言あればいいんですけど…。(もちろん、ちゃんと入り込んでもいいタイミングを見計らって場を乱さないよう配慮している人も多くいます。)

パーティーという場の性格上、人が話している場に入り込むこと自体は問題ないと思います。大事なのは入り込み方です。もうすぐ帰らなければいけないけど気になるあの人とちょっと話しておきたい、でも他の人と話し中…という場合や、途切れず誰かと話していて2人で話す場がつくれない…といった場合もあると思います。これらの場合、同じ場にいる別の相手に一言断れば特に問題ないと思います。学校という場だと同じメンバーと何度もパーティーをやるので、その場限りの相手とは違い回を重ねるうちにいろいろな行動特性が見えてきます。そういうところで普段誰と一緒にいる(英語で言うとhanging around)のかが自ずと決まってくるのかもしれません。

もっとも私自身もっと図太くなって、自分のわからない話題で話されたら「○○って何?」などと聞き返して無理やり話の場に入っていくようにすればいいのかもしれませんが(こういうのがうらやましいほど得意な人もいる)、いきなり割り込まれた側の気持ちを考えるとなかなかできません。割り込んできた相手もあまり深く考えていなくて逆に割り込まれても大していやな気分にならない可能性もあると思いますから、努力の余地はあるかもしれませんが…。

でも、こんなにパーティーごときで悩んでしまう自分って考えすぎなのかな…と思ったりもします。同級生の皆様のご意見をお聞きしたいところです。
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by coast_starlight | 2007-02-04 02:38 | 日々の出来事

<旅行> ボスニア・ヘルツェコヴィナ/サラエボへ行く

先週同級生の家に滞在している途中、2泊3日でサラエボへ行ってきました。ベオグラードからはバスで約7時間、高速道路もない田舎道をひた走っていきます。ボスニア・ヘルツェコヴィナ国境へ近づくにつれ山道になっていくので、さらにバスの速度は遅くなります。従って直線距離はあまり遠くないのですが時間がかかります。列車・飛行機はあったとしてもとても稀。この2つの国の関係を考えると想像がつきます。

a0079741_22345212.jpgサラエボまでの道中、特にボスニア・ヘルツェコヴィナ国境を越えたあたりから戦争で破壊された家がそのままになっているのが目立ち、何もいえない気持ちになりました。廃墟になっているところもあれば、そのまま人が住んでいるところもあります。また、建て替えて立派になっている家もそれなりに多かったものの多数ではなく、それが(建て替えられていない)他の家をさらに引き立てている感じがして風景として全体を見るとさらに落ち込む気分になりました。




a0079741_22322738.jpgボスニア・ヘルツェコヴィナは、主にクロアチア人とモスリム人が住む「連邦」とセルビア人が住む「スルプスカ共和国」に微妙に分かれています。国家としては一つなのでどこで境目を越えたのかは(少なくとも外国人の目からは)よくわからないのですが、町並みからも何となくわかるかもしれません。看板の文字がキリル文字だとセルビア人区域だとわかります。ベオグラードからサラエボへの道中、スルプスカ共和国区域内のカフェではセルビアの通貨(ディナール)が使えましたが、連邦区域内に入るとディナールは両替すらできません。そのためユーロが必要になります。たぶんディナールを出したら外国人だったら手違いで済ませられるかもしれませんが、セルビア人がディナールを出すことはちょっとできないかもしれません。ボスニア・ヘルツェコヴィナ国内の通貨(コンバーチブルマルク;略称KM)はどちらでも使えますが、2KM=1ユーロとほぼ決まっているようなので、ユーロがそのまま使えるところも多かったような気がします。

a0079741_22241688.jpgベオグラードからのバスはほとんどがサラエボの鉄道駅近くにあるバスターミナルではなく、サラエボから離れた(スルプスカ共和国内の)ルカヴィカという村のバスターミナルに到着します。ここからサラエボ市内まではタクシーで15分くらいです。何となく予想していたのですが、やっぱりサラエボ市内には着かないんだー、という気分でした。しかし不思議なことにユーロラインが運行するベオグラード行きのバスは鉄道駅近くのバスターミナルから発着します。帰りはユーロラインのバス(写真)に乗ったのですが、値段は大して変わらないのに車両はキレイだし、何だこの違いは!?と思いました。個人的にはユーロラインのバスを勧めます。早起きしなければならないのが難点(サラエボ→ベオグラードのバスは朝6時発)ですが…。

サラエボでは、Hostel Skendという宿に泊まりました。ここは家族経営のペンションみたいなところなのですが、サラエボの宿では珍しくインターネット予約を受け付けており、中学生くらいの息子が英語ペラペラなので不自由しませんでした。値段もシングルで25ユーロ(4000円くらい)で良心的。キッチンもついており自炊もできますので一人で旅行する場合は特にお勧めです。ところで彼の英語は本当に英語圏に住んだ経験がないのか?と思うほど上手くて驚きました。外国ドラマの観すぎじゃないか、と思うこともありましたが…。また彼は英語がしゃべれるというだけでなくとても頭がいいです(話をしていてわかります)。宿のウェブサイトの開設や英語のやりとりなどは全部彼がやっているようです。今週はまだ学校が休みだったので、彼にお小遣いを払ってサラエボ市内を案内してもらいました。

a0079741_22274890.jpga0079741_22302025.jpg滞在時間が短かったのであまり多くの施設を回ることはできませんでしたが、1992年~95年の戦争時に掘られたトンネル跡は見ることができました。戦争時サラエボは周囲をセルビア軍に包囲され、山あいの町という地理的条件も重なり空港が唯一の外界との接点となっていました。セルビア人勢力と戦っていた時にボスニア政府軍(クロアチア人とモスリム人)は空港までトンネルを掘り、このトンネルを使って武器や食料品・医療物資を運んでいました。トンネルは幅1.2メートル、高さ1.6メートルほどで非常に狭く、私でさえこの中を800メートルも歩くのだと想像すると「万が一天井が崩落したら間違いなく生き埋めになる」と思ってぞっとしたくらいです。体格のいいこの地域の人たちが通るのはさぞかし窮屈だったろうと思います。このトンネルは普通の民家の裏庭に掘られ、今でも博物館としてそのままの形で残っているのですが、博物館へ行くのは少し難しいです。できれば誰か知っている人と一緒に行くかタクシーで行くかしたほうがいいと思います。私達はサラエボ中心部から路面電車に乗り、終点から30分くらい歩いていったのですが、たぶん一人だったら確実に道に迷っていたところです。他にもボスニア様式の家や旧市街などを見て回り、当日は天気が悪かったのが残念でしたがそれなりに充実したひとときを過ごすことができました。

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恥を承知で書くと、サラエボで起こっていた戦争がこんなにひどいものだとは当時全然認識していませんでした。戦争時私は高校生~大学生だったのですが、その頃は大学受験の勉強とか自分のことばかりに関心が向いていて、新聞やテレビのニュースに目は通していたけどそれを自分の意識にどこまで彫り込んでいたかと思い巡らすと、あまり記憶にないのです。とりあえずひどいことが起こっているということだけ何となーく感じて日々暮らしていたような気がします。この頃日本では1995年1月17日に阪神大震災がありましたが、やはり同じ国内の出来事ということでそちらのほうが関心度が高かったかもしれません。それが良いのか悪いのかは何とも言えませんが、物理的距離と関心の度合い(attention)が比例している―遠い距離の出来事ほど実感が湧かない―というのは多くの場合事実だと思います。私がいろんなところに行きたいと思って実際に行ってしまうのは、この状態を少しでも経験によって補うことにより自分の想像力を高めたいと無意識のうちに思っているからかもしれません。でもただ行けばいいというものでもなく、その地のことを短い時間で可能な限り深く知るのに好ましい行き方(現地にいる知人を頼っていくなど…もっとも、そのためには前段階として知人をつくるということが必要になりますが)というのがあるということが何十回も旅行してやっとわかってきたので、少しは以前より賢くなったかも…とちょっと思ったりします。
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by coast_starlight | 2007-02-02 22:43 | 旅行