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<旅行> 南アフリカ共和国/ヨハネスブルグ (その1)

國泰航空を乗り継ぐこと約20時間、南アフリカのヨハネスブルグへ用事があったので行ってきました。アパルトヘイト以降ヨハネスブルグの治安は非常に悪く、経済活動の中心地はサントンなどの郊外の街に移っています。これらの郊外にあるショッピングモールやテーマパークのようなところは普通に歩けるのですが、それ以外だと外を歩くのは非常にためらわれます。モール内のお店でも宝石屋などは入り口に頑丈な扉があり、営業中でも店に入りたければ中にいる警備員に開けてもらわなければいけません。今回の宿泊先はショッピングモールに直結したホテルだったので歩いて行けるお店は多かったですが、そうでないとちょっと不便で仕方ないだろうな、と思いました。

a0079741_0195311.jpg土曜日一日空いていたのでガイドつきツアーを現地事務所の方がアレンジしてくださり、いろいろなところを回ることができました。デニスという黒人のおじさんが終日私一人の相手をしてくれたのですが、このおじさんがいないと私はどこにも行けませんでした。朝9時前にホテルに迎えに来てもらい、まずその日の予定を話してくれたのですが「まずヨハネスブルグ中心地に行ってアフリカ伝統医学の薬局を見学、その後カールトンセンターで展望台に登ろう。その後ソウェトのネルソン・マンデラが投獄前に暮らしていた家を見て…」と言われたときは一瞬「ほ、本気かよ」と思いました。でもこのおじさんが一緒なら道もわかっているし車もそんなに新しい車じゃないし外を歩きさえしなければ大丈夫だろうな、とその通りにすることにしました。デニスさんが言うには、やはり治安が悪いのでテナント料を安くしてもテナントが入ってくれず、不法占拠されているビルも多々あるようです。アパルトヘイト時代にあった多くの企業の拠点が治安悪化により郊外に移転したことにより、見た目はそこそこキレイなビルでも中は空洞…というところが多いようです。しかし一部企業や公益法人があえて市内に拠点を戻すことにより経済活動を取り戻し、ひいてはヨハネスブルグ市内の空洞化を改善しようと努力しています。例えばABSAという南アフリカの大手銀行は市内中心部の高層ビルに本社機能を置いていたり、公共交通を運営するトランスネット社はカールトンセンター(展望台があるショッピングセンター)内にオフィスを構えています。毎日通勤する人は大変かもしれませんが…。

a0079741_0121719.jpga0079741_0134148.jpg最初に行ったアフリカ伝統医学の薬局がある場所はあまりパッとしないものの、ここだけは他にも白人ツアー客が多く訪れていました。中にはいろいろな動物や木の皮を乾燥したものが所狭しと置いてあり、動物のはく製も置いてありました。独特のニオイが漂っているものの異臭というわけではなく(よい香りとも言えませんが)、そこに足を踏み入れること自体は特に問題ありませんでした。「君の国の薬局と比べてどうだい?」と言われたので「日本でも漢方というものがあって、動物の皮は聞いたことがないですが植物の皮や根っこは使いますよ」と答えました。

a0079741_0131541.jpgその後カールトンセンターに車で向かったのですが、不案内な状態で一人でここに来るのは危険すぎると思いました。途中「ここ中心部には鉄道の駅とバスターミナルがあり、長距離列車やバスが発着しています」などという説明を聞いても「怖くて乗れないよ」と思いました。あまり顔には出しませんでしたが…。地下の駐車場に入り、エレベーターに乗るまでの短い距離もデニスさんに従いながらも周りをキョロキョロ見ながら歩いていました。黒人ガイドがいればいいのですが(金品がありそうな格好をしていない限り何もないのにいきなり同胞を襲うようなことはしないはず…根拠ないですけど)そうでなければ怖くて行けません。駐在員の方も用事でここに来るときは自分で運転せず運転手つきの車を手配すると言っていました。デニスさんはこの辺の施設の人達と顔が通じているらしく、ズールー語で挨拶しながら入っていったので特に問題はありませんでしたが、私は彼にぴたっとくっついて歩いていました。ちなみにここでは黒人同士は英語ではなくズールー語で話していました。場所によって他の言語も使われており、デニスさんによると南アフリカでは全部で11ヶ国語が使われているようです。白人は英語やアフリカーンス語で話します。カールトンセンターは1・2階がショッピングセンターになっており、入っているお店は私が滞在していたサントンのショッピングセンターのテナントとあまり変わりませんでした。さすがにルイヴィトンなどのブランドものの店はなかったですが。でも人種構成が偏っていて、モール内にたくさん人がいたのですが黒人100人中白人が1人いるかいないか、という感じでした。東洋人は当然ゼロ。でも白人の母娘も見ました。

a0079741_0141396.jpg2階には展望台「トップ・オブ・アフリカ」のエレベーター入り口があり、入場料を払って50階までエレベーターに乗ります。デニスさんによると、ここがアフリカ大陸で一番高い展望台なのだそうです(二番目はエジプトにあるらしい)。しかし東京タワー展望台のようにエレベーターに乗るのに待つことはなく、すぐに乗れました。だって、他に登る人いないんだもん…。そんな訳で恐る恐る登った展望台ですが、眺めは最高!!その日は天気が良かったこともあり、ヨハネスブルグ市内および郊外が一望できました。下にあるショッピングセンターの賑わいとは裏腹に本当にガラーンとしていましたが、それはつまり地元の黒人はここに来てもそれ以外の観光客がほとんど来ないことを意味しているのかもしれません。眺めは良いだけに残念に思いました。カールトンセンターにはその名の通りもとはカールトンホテルがあったのですが、治安悪化により移転を余儀なくされ、隣にあるホテルの建物は閉鎖しています。2010年のワールドカップに向けてあれこれ対策しているようですが、そのときだけ一時的に治安を向上させることはできるかもしれませんが、長期的な治安向上への道のりは長いかも、と思いました。

a0079741_0144646.jpg少々ドキドキもののヨハネスブルグ市内観光の後、ソウェトに向かいました。ソウェトは以前黒人の居住区(タウンシップ)だったところで、アパルトヘイト時代黒人は指定された地域以外を無断で行き来することが許されていませんでした。緑のパスポートのような身分証明書を常に携帯することが義務付けられ、指定地域の外へ出るときはここに許可証をもらう必要があります。デニスさんも子供の頃は持たされたいたようで、自分のサイフから「こういうものだよ」と見せてくれました。「僕は子供の頃ソウェトにいたんだけど、初めてヨハネスブルグに行ったのは16歳のときだったんだ。5キロも離れていないのに。」と言われたときは何て言葉を返してよいかわかりませんでした。

今日は眠いのでこの辺にしておきます。 (つづく)
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by coast_starlight | 2007-09-25 00:20 | 旅行

<話のネタ> 胃腸を鍛えるには

出張先でひょんなことからあるお医者様と夕食をご一緒することになり(仕事とは全く関係ない)、そこで旅先での下痢についての話になりました。海外に行くとおなかの調子が悪くなるのは、普段と違う食べ物と水を摂取することにより体内細菌の構成が変わるからなのだそうです。このスピードは意外と速く進み、ほんの数日でがらっと変わるのだそうです。そのためこの種の下痢は帰国するとすぐなおるのだそうですが。逆に長く住んでいると体がその体内細菌構成に慣れていって平気になるということもあるそうです。そこで気になって「あのぉ、胃腸って鍛えられるものなのですか?」と聞いてみました。先生の回答はざっと言うと以下の通りでした。

1.下痢をするのは、腸が体に悪いものを排出させようとしているからで、この流れに逆らって下痢を止めようとするのは良くない。過去にO157による食中毒で死亡者が出てしまったのは、医者が抗生物質を処方し体内細菌まで殺してしまい、また下痢止めを出して悪いものの排出を止めるという二つの要因によるものと考えられる。それよりも下痢によって同じく体外に排出されてしまう水分や電解質を補うほうが大事。冷たい水は胃腸を刺激するのでぬるめの水が良い。

(そんなわけで、今後海外に行くときは、ビオフェルミンと粉末のポカリスエットでも持っていこうかと思います。)

2.よく下痢をする人とあまりしない人がいるのは、腸が敏感かどうかの違い。従ってよく下痢をする人のほうが、長期的にみて悪いものを溜め込まないから大きな病気をしないこともある。

3.日本人の場合腸が長くて本来はあまり肉食に向いていない。また腸が長い故に悪いものが長い間溜まってしまう。日本人が他の人種と比べて胃腸が相対的に弱いのはそのせいもある。「胃腸を鍛える」のは無理だが、日々野菜や穀物中心の食生活を心がけ、ヨーグルトを毎日食べ善玉菌を常に体に住まわせておくことが、胃腸の働きを良くすることにつながる。ちなみにここでいうヨーグルトは何でも良くて、それよりも毎日摂取することのほうが重要である。

Tボーンステーキを食べながらこんな会話するのもなぁ…と思いながらも、胃腸が弱いと悩んでいた自分にとっては、非常にためになりなおかつ元気の出る話を聞くことができました。先生、どうもありがとうございました。
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by coast_starlight | 2007-09-21 13:34 | 話のネタ

<旅行> 上海にて

上海に行ってからもう一ヶ月が経ってしまいました。早いものです。そのときのことを思い出し、自分への備忘録も兼ねて書いてみます。

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<一日目>

夕方、成田空港から中国国際航空(エアーチャイナ)便に乗り上海へと向かいました。成田から上海浦東空港へは約3時間ちょっと。でもいずれの空港も市街地から遠いのでドアツードアでは8時間くらいかかりました。今月末から羽田と上海虹橋空港を結ぶ便が開通すれば、ドアツードアの移動時間は2~3時間くらい縮まると思います。それまで待とうかな、と実は少し思っていたのですが…。チケットを買ったのが2週間ほど前だったので安いチケットがあまりなく、また時期的に空席があまりなく、一番安いエアーチャイナでも8万円くらいしてしまいました。ボーイング757-200の機体はほぼ満席で、日本人観光客とおぼしき人はほとんど乗っていませんでした。しかし私の隣にいた男性2人組は偶然にも日本人でした。入国審査の書類を書くとき筆記用具を忘れたことに気づき、その方達が英語がほとんどわからない様子だったので「何が書いてあるかご説明しますから、その後ペンを貸してくださいませんか?」とお願いし、ペンを貸してもらうついでに少し雑談をしていました。

「中国は初めてですか?」

「いや、三回くらい行ったことあるけど、毎回食事はあんまり楽しくないねー。日本からカップめん持ってきているし。」

「私は初めてなんですけど。胃腸あまり強くないんでお腹壊すかもしれませんね。ところで空港から市内へはタクシーで行こうかと思っているんですけど、どれくらいかかりますか?」

「いつも迎えに来てもらっているからよくわからない。ところで今回買ったチケットはいくらだったの?」

「8万円しました。これが高いのか安いのかよくわからないのですが、どう思いますか?」

「高いと思う。俺らは4~5万円でとったかな。」

「確かにもっと早くとれば安くあげられたのだとは思いますが。上海ではどういうところが見所だと思いますか?」

「上海もあんまり遊べるところないんだよね。女も買えないし。その辺すっごく厳しいから。」

「はぁ…そうですかぁ…」

それって私に話すことか??と思いながらこう返すしかありませんでした。このおじさんたちは一体何者だったんだろう…。

そんなわけで夜中の12時頃上海に到着した私は、恐る恐るタクシー乗り場でタクシーを拾い、行き先を中国語で書いた紙を運転手のおじさんに見せて目的地へとたどり着きました。到着したのは徐家匯というところにある(おそらく)外国人向けのマンションで、見た目は結構高級そう。21階の部屋にたどり着くと、彼が出迎えてくれました。

「あぁ、よく来たね!」

「この前は運が悪かったよね。私がボストンを発った日に連絡くれていたみたいで、すれ違いになっちゃって。」

その日は遅かったので、私は挨拶もそこそこにすぐシャワーに入って寝てしまいました。

ちなみに「余分な部屋があるからそこにいればいいよ」と言ってくれてはいたものの何となく一人では行く気になれず、もう一人韓国系アメリカ人の女友達(ケネディスクールの同級生)を誘い彼女もそこに滞在しました。単なるルームメート的感覚で「家に泊まりなよ」と言ってくれたのだろうと思うし、長い友達付き合いから何もあり得ないということはわかっていますが(私もその辺理解するのに十分年をとっている)、同性の友達を誘わないと行く気になれなかったところに「やっぱり自分は日本人なんだなー」と思いました(カルチャーの問題というより、個人の感覚の問題かもしれませんが)。あとは、彼女も彼と同じファンド関係の仕事をすることになっていたので、同じ業界だしいろいろ話も合うんじゃないかな、と思ったからというのもありました。いずれも、留学していなかったらおそらく会うことのなかっただろう人達です。


<二日目>

a0079741_22282850.jpg前の日の到着が夜遅かったこともあり朝10時くらいまでボーッとしていたのですが、友人が「新天地に行こう」と言うので連れて行ってもらいました。新天地(シンタンディー)は古い建築を残しながらもスターバックスなどのカフェやレストラン・お店が入っているところです。そこで軽く食事をして散策した後、彼が勧める飲茶の店に連れて行ってもらいました。でも残念なことに私はそこでちょっとお腹をこわしてしまいました。おそらく「ウェルカム・トゥー・チャイナ」の軽い洗礼を浴びたのだと思います。

ところで私は漢字が一通り認識できるものの(簡体字なので限界はありますが)中国語で何と読むかはわかりません。一方、彼は中国系アメリカ人で中国語を話すことはできますが漢字が読めません。音だけでちゃんとわかるんだ…とかなり不思議な感じがするのですが。従って私の持っているガイドブックにある通りの名前や地名(漢字でのみ書かれている)を伝えるときに非常に苦労しました。従ってこの日私達が行ったところが新天地だということがわかったのは、家に戻ってガイドブックを見返してからでした。

昼は家の近くにある足裏マッサージ屋を勧められたのでそこに行きました。60分で1500円くらいと、日本の4分の1!地元の店に行ったらもっと安いかもしれませんが、腕前や清潔感が気になるところ。今回行ったゴールデンリゾートというところはあまり宣伝をしていないためか、ホテルのスパのような雰囲気でも手ごろな値段でお得な気がしました。


<三日目>

a0079741_22291045.jpg午前中からどうも体の調子が悪かったので「ごめん、何か体調悪いから寝ててもいいかな?」と言って昼間は一人で部屋で寝ていました。彼は既に仕事に行っていませんでしたが、もう一人の女友達がそろそろと起きてきて「大丈夫?」と気遣ってくれました。そこに突然家の鍵を空けて女の人が入ってきてビックリ!週3回メイドのお姉さんが掃除や洗濯をやるために来るのだそうですが、その間は何か落ち着きませんでした。確かに部屋はホテルのようでやけにキレイだし、でもそういうことを彼がまめにしているとも思えないので、妙に納得がいったのですが…。私も家事があまり好きなほうではないので、家事をやってくれる人がいればなーと思うことはありますが、全く人任せにするとなると何か躊躇します。たぶんそういう自分がイヤなんだと思います。仕事で時間をとられて真面目に家事をやるヒマがないときもありますが、そうでなければある程度はやるし、生活している時間の中の一定割合は家事に使わないと自分の中の「人間らしい生活」の定義に合わないような気がして落ち着かないのだと思います。とはいえ本当にこういうメイドサービスを頼んだら、楽チンでやみつきになってしまったりして。そのうち彼が戻ってきて「これサンドイッチ買って来たよ。(私が「ツナサンド買ってきて」と頼んでいた)僕は彼女をどこかお昼に連れて行くから」と言って二人でどこかに行ってしまいました。昼の3時くらいに戻ってきた彼女に聞いたら飲茶に行っていたそうです。

夕方は彼女と再びマッサージ屋に行き、至福のときを過ごしました。その後どこかのベトナム料理屋に夕食を食べに行き、川のふもと(英語ではbundという)で彼と合流し3人でお酒を飲みに行き帰宅しました。


<四日目>

a0079741_22293855.jpg彼は何かやることがあったらしく、女友達と二人で蘇州に行きました。上海駅(旧駅)から特急列車で行ったのですが、まず切符をとるのが大変でした。切符がとれるかどうか気がかりということで私達より早く起きて彼は上海駅に先に切符を買いに行ってくれたのですが、行きは良いものの帰りが夜9時半発のものしかとれず、蘇州へ長く滞在することになってしまいました。蘇州では何と言ってもタクシーを拾うのに一苦労。タクシー乗り場はものすごい人だし、誰かが降りているところにすかさず入り込むくらいの図太さがないと日が暮れてしまう、と思いました。そんなわけで短距離のときに利用したのは人力車!でもよく考えたら日本の観光地でも環境対策でベロタクシー(自転車あるいは人力車のタクシー)が出始めているし、実はこれって時代の最先端?と思ってしまいました。でも二人で乗っていると、暑い中一生懸命自転車こいでいるオジサンが結構気の毒に思えてしまいました。それが仕事なんだとはわかっていても、です。彼女は後でこのオジサンと一緒に写真を撮りたい、と言い出し、これにはオジサンもビックリ!私は撮らなかったですが、彼女にはいい記念写真になったのでしょうか。

a0079741_2230385.jpg蘇州にはいくつかの庭園があるのですが、そのうちの一つにしか行く時間がありませんでした。でもそれでもだいぶ満足でした。庭園でボケーッとして彼女と留学時代の話をしたり、お互いの今後のことについて話したりと、有意義な時間を過ごすことができました。彼女とは7月に一緒に駒込の六義園にも行き、そこでもいろいろおしゃべりしていたのですが、環境が変わると話す内容も微妙に変わっていたような気がします。

帰りは庭園から駅まで行こうとするもこれまたタクシーがつかまらず、バイクタクシー(タイでいうトゥクトゥクみたいなもの?)で駅まで向かったのですが、これが超スリル満点で一瞬死ぬかと思いました。大通りは車道とバイク・自転車専用道に分かれているのですが、バイクタクシーはいずれも通れるらしく(と運転手が勝手に解釈しているのかもしれませんが)、両方の間を頻繁に車線変更するので、この二つの道を隔てる街路樹に何度かぶつかりそうになりました。他の自転車やバイクにもすれすれのところで当たりそうになるし。遊園地のジェットコースターよりも冷や汗かきました。

a0079741_22304368.jpg駅に着いてから列車が出るまで2時間くらいあったのですが、他にどこへ行く気力もなく、とりあえず近くの店で晩ごはんを食べてそこで待とうということになりました。駅前とはいえそんなにお店があるわけでもなく、私達は仕方なく水餃子のチェーン店みたいなところを見つけてそこで水餃子(メニューがそれしかない)とお茶を頼みました。超ローカルなお店で彼女はあまり食べる気がしなかったのか、「一応食べるそぶりはするけど何か食欲が出ない」と言ってほとんど食べていませんでした。私は「え、結構おいしいじゃん」というノリで彼女の分も全部食べてしまいました。黒酢をつけて食べる水餃子の味はそんなに悪くありませんでした。でも全部食べたのは、もったいないという気持ちよりも、そのまま下げられてこの残飯を誰かが食べるのかと想像するとそれがたまらなくイヤだったからだと思います。お店には、空のペットボトルを目当てに歩き回るホームレスらしき人もいました。この人達と比べれば私達はかなり良い暮らしをしているのだな、と今更ながらに思いました。

発車30分前くらいに駅構内に入り、お目当ての列車の待合室で待っていたのですが、カップめんを食べている人が多いからか待合室が何か臭う。何と待合室でお湯がもらえるのです。中国の人は基本的に温かいものしか食べないと聞いたことがありますが、これにはビックリ。それにしてもどこも人人人…で気疲れしました。そんなわけで夜11時くらいに家に戻ったときはもう心身ともにクタクタ。友人にも「地元民がするような観光ツアーをしてしまったね」と言われてしまいました。



<五日目>

再び女友達と二人で上海市内観光をしていました。私は中国語会話力ゼロですが漢字の意味は何となく理解でき、彼女は中国語が少ししゃべれるということで、二人なら何とかいろいろ回ることができました。行ったのは豫園(庭園)と東方明珠塔(パールタワー)にある歴史博物館。東方明珠塔のある浦東(プドン)に行くには、地下鉄かタクシーで川を越えるか地下トンネルを走る観光ゴンドラに乗るかのいずれかですが(バスでも行けるのでしょうが我々にはその能力がありませんでした)、とにかく暑かったこともあり歩くのがおっくうで、タクシーもなかなかつかまらなかったので観光ゴンドラに乗りました。これが超不思議な演出をしており、ディズニーランドのスペースマウンテンに乗っているときに見えるタイムトンネルのような人工的照明で、「何でたかが川の反対側に行くのにこんなに派手にしているんだ?」と突っ込まずにはいられませんでした。

a0079741_22312317.jpg上海歴史博物館は、ガイドブックではあまり大きく取り上げられていませんが、個人的にはオススメです。蝋人形や各種模型を通じ上海の歴史を知ることができます。ただ1930年くらいで止まっているのが気にかかるところですが。博物館を出た頃には既に夜の7時になっており、偶然にも何か催し物をやっており、こんな曲芸も見ることができました。こういう曲芸をできる人が無料イベントでも出てくるところが「さすが上海雑技団を擁す上海だな」と思いました。

最後の晩ということで我々3人+彼の友人の4人でラピスラズリというお店に食べに行きました。ここは租界時代にフランス人が住んでいたエリアにあるレストランで、昔の邸宅を改造した雰囲気は悪くなかったのですが、食べ物が高い!!しかも店員の愛想もあまりよくないし…。一人当たり5000円くらいして、思わず「東京のほうが同じ値段でももっといいもの食べられるよ」とつぶやいてしまくらい残念な思いをしました。

ところでレストランで食事をすると店が発行する領収書とは別に公的なレシート(収入印紙に近いかも)なるものが発行されます。例えば食事代が150元だったら100元レシート1枚+50元レシート1枚といった感じで、定額のレシートを複数枚組み合わせてもらえます。これにはスクラッチくじがついており、当たる確率は低いですがキャッシュバックのチャンスがあるそうです。このくじはおそらく客がちゃんとレシートを受け取るためのインセンティブなのだと思います。この公的レシートの目的はお店が帳簿を不正につけないようにすることのようですが、交際費などの経費処理をする際もこれが必要になるのだそうです。



<六日目>

彼女は朝早くの便で北京経由ソウルへと旅立っていきました。私はまたまた体調を崩してしまい、午前中は部屋で寝ていました。朝彼女を見送るときに彼が「何か食べ物でも買ってこようか?」と言うので「うぅん…パンか何か買ってきてくれるとうれしいな」と言うと彼が買ってきたのはマクドナルドの朝ごはん!「パンケーキとかだったら食べられる?」とは言うのですが、おいおい、胃腸の弱い私にそんなもの食べさせるなよ…と少し思いました。いや、買って来てくれたことを素直に感謝すべきなんだろうけど、何かズレてるよなー。

結局昼前まで部屋で休み、昼ごはんを近くの「日本食屋」に食べに行ってから空港に向かいました。「この店は僕の友達が勧めていたところなんだけど」と言うけど、日本人が勧める日本食屋ならともかくねぇ…。お店はオーダービュッフェ方式で、決まった値段を払ったらメニューにある好きなものを何でもオーダーできるという形式でした。私は100元(1500円)くらいしたにもかかわらずオーダーしたのはししゃもやとろろ、ゴハンに野菜と元が取れないようなものばかり。まあ代わりに彼が刺身などを思いっきり頼んでいたから(彼は身長190センチほどあり体格も良く、ビュッフェの時は恐ろしいほど食欲旺盛であることは前から知っている)二人で割れば100元分かな、と思いました。

空港までタクシーで行き無事エアーチャイナ便に乗り成田空港に着いたときには、妙な安堵感を覚えました。「もう当分はいいかな」と思いつつもまた行くんだろうな、たぶん。毎日あれこれハプニングがあって、それはそれで楽しかったし。今月末から羽田~上海虹橋便が飛ぶようになれば上海に行くのもだいぶ楽になると思います。上海へは2万マイルで行けるし。その前に、もっと胃腸と体全体を鍛えておいたほうが良いかも…。


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今週は、彼のふるさとに出張です。とっても遠いです。

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by coast_starlight | 2007-09-17 22:35 | 旅行

<旅行> 仙台・山形/温泉と芋煮会に行く

この前の日曜日、山形で行われた「日本一の芋煮会」イベントに行ってきました。これは毎年9月の第1日曜日に山形市内の馬見ヶ崎河川敷で開催されるイベントで、直径6メートルおよび3メートルの超大なべでしょうゆ味・みそ味の芋煮がつくられ希望者に振舞われるというイベントです。


a0079741_0155821.jpg平成元年から始まったこのイベントは今回で19回目を数え、今や山形の風物詩となっているそうです。この芋煮を食べるためにわざわざ遠方から参加する人も多いらしい。私はもともとこの週末に仙台と山形のほぼ中心にある作並温泉に行く予定をしていて、偶然その日に芋煮会があるということを同行者が調べていたため「じゃあ行こう」ということになり行くことにしたのでした。






a0079741_017148.jpga0079741_0163331.jpg東京駅で集合し、新幹線で仙台に昼頃到着しました。その後牛タン定食を食べ瑞鳳殿や青葉城址といったよくある仙台観光をした後仙山線で作並(交流電化発祥の地、らしい)に向かいました。帰国以来このような温泉宿に行くのは初めてで、広瀬川を眺めながら露天風呂につかっていると「あぁ、日本に帰国したんだなぁ」と遅ればせながら実感しました。




a0079741_0172938.jpg次の日仙山線で山形へ行き、芋煮会会場に向かいました。6メートルの鍋でつくる芋煮は、何とショベルカーを使って「調理」されます。このショベルカーは毎年未使用のもの(おそらく重機会社にお願いして納入前のものを一時的にレンタルするのだと思います)を準備し、芋煮をつくる前は使う油も食用油にすることにより衛生面に配慮しているのだそうです。ショベルカーを操っている人を含め調理スタッフは皆ツナギを着ていて料理を作っているように見えないのが笑えました。この芋煮をもらうには会場で300円払ってチケットを入手し、整理券ももらう必要があります。大体待ち時間は1時間~1時間半くらいだと思います。ちなみにもう一つの直径3メートル鍋で作られているみそ味の芋煮は整理券なしでほぼ待たずしてもらうことができます。個人的にはみそ味が好きなのですが、せっかく来たのだからということで両方もらってしまいました。


周りは知らない人ばかりなのに、皆同じものを食べているという妙な一体感が感じられ(同じ鍋の芋煮を食べているという点で共通している)、芋煮もおいしかったので(東北だから味付けが濃かったけど)非常に満足感の高いときを過ごすことができました。一家団欒には家族が皆同じものを食べることが重要だとどこかで読んだことがありますが、その理由が何となくわかるような気がしました。

ちなみに会場では「災害援助時に大量のお米を短時間で炊くことのできる機械」をPRするためにオニギリが無料配布されていたり、チキンラーメンもタダで配られていたので、待ち時間の間にこういうところに並んで待っている間の退屈さと空腹をしのぐことができます。冷静に考えたらチキンラーメンもおにぎりも100円前後で買えるのに、タダでもらえるということになると15分~20分くらいの待ち時間があっても並んでしまうんですね、これが。人間の心理って不思議だと思いました。また会場には「大鍋宣隊イモニレンジャー」なる正義の味方(何に対して戦っているのか今ひとつ不明)が会場内を歩き、子供と握手したり写真撮影に応じたりしていました。

a0079741_018021.jpga0079741_0181880.jpg食べた後の容器はリサイクルされるのだそうです。その方法はというと、容器内側に貼られている薄いフィルムをはがし、はがしたフィルムのみ捨て、容器はまとめて回収するのです。








芋煮会の後山形から再び仙山線で仙台に戻り、帰りの新幹線の中で駅弁を食べて…という食べてばっかりの旅行でした。

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ところで帰国以降あまり記事を書けていません。書きたいことはあれこれあるのですが(上海での話もまだ書いていないし)、文章にすぐにまとまらないのです。留学中と違って日本語で生活しているのに…かえってそのほうが雑念が入るからかも。確かに平日の昼間は会社にいて全然違うことを考えているので記事書きに割ける時間および頭のメモリが留学していた頃と比べて少なくなってはいるものの、要領よくやればその辺は克服できると思うので、要はやる気の問題だと思います。先月引っ越した新居もだいぶ片付いてきてモノも揃い落ち着きつつあります。先週はカゼと下痢を併発し会社を休んだりしていましたが、やっと回復しました。そんな訳でまたあれこれ書きたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
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by coast_starlight | 2007-09-05 00:20 | 旅行