<私のはなし> 気づきは突然やってくる

自分のことって、意外と自分でわかっていないような気がします。自分は何が好きで何がキライか、どういうことに心を踊らせ関心を持つのか…。その時には「何となく」好き/キライと思ったものでも、何年も経ってからその「何となく」の根拠が鮮明になり、「あ、そういうことだったのか!」と気づくこともあると思います。

例えば、最近自分のことで一つわかってきた決定的なことは、自分のことを「おまえ」と呼ばれるのが実はとってもイヤだということです。過去に付き合っていた人で私のことをそう呼ぶ人がいたのですが、その時はあまり深く考えていなかったものの、最後の最後で直感的に「この人とはダメだ」という判断をし別れました。その直感の根拠の一つがどうやら私の呼び方だったということが、別れてからだいぶ経った最近になってわかりました(それだけではないですが)。名前かあだ名(あれば)か「あなた」のほうがいいです。たかがそれくらいのこと、と思うかもしれませんが、私にとっては重要だったようです。振り返ると、男友達の中にも、私のことあるいは他の女友達、あるいは彼女のことを(少なくとも私のいる前で)「おまえ」と呼ぶ人は存在しません。今週末乗った飛行機で60代前半くらいの夫婦が隣の席だったのですが、男性が女性を「おまえ」と呼んでいたのが何か聞いていてイヤで、何でそういう自分がいるんだろう…と考えると納得がいきました。家の中ではいいかもしれないけど、飛行機や電車のパブリックスペースでは誰が聞いているかわからない、自分も気をつけなきゃ、と思いました。人によっては、自分が近い関係にあるという親しみをこめて「おまえ」と言っているつもりの人もいるのかもしれませんが、私はどうもそこは受け入れられないようです。もっとも、今の職場にも目下の人を「おまえ」呼ばわりするオジサンはたくさんいます。また関西では男性に「そんなんおまえ、…………、だからおまえ、………」という口調で、特に誰に向かってというわけでなくても文の切れ目で「おまえ」を挟む人がいます(中学の時の先生にもそういうオジサンは結構いたなぁ)。そういうのは自分個人に宛てられたメッセージとして捉えないので別に気にならない(というか無視する)のですが、もしこの人と自分が仮に対等な立場だったとして、プライベートで仲良くはなれないかも…と思います。

他にも私が気づいたことは、
・美術作品は現代のものよりもちょっと古い18~19世紀のものくらいがどうやら好きらしい
・インテリアは最近できている高級外資系ホテルに多いモダンなこげ茶色の色調よりも、ナチュラルテイストの木目調が好きらしい
・自分の好きな色は青緑っぽい色らしい
などいろいろあるのですが、いずれも旅行時自分がどういうところに行きたがる/自分がどういうものを買う傾向があるか、どういうホテルに泊まったときに居心地が良かったと感じたか、などなどを後から振り返ることによりわかってきたことです。こういうことがわかれば、以後の自分の行動予定にこういうことを反映させることにより、物事の素早い判断につながったり心理的負荷が減ったりするかもしれません。私の場合、自分に対する気づきを得ると一筋の光明がもたらされたかのような気分になり、ちょっと日々の生活にやる気が出てくることが多いです。

このような気づきを得るためには、乱読や気まぐれな外出・旅行をすることが必要かもしれません。ここで大事なのは、一人ですることだと思います。同行者がいると(相手にもよりますが)相手の行動・態度に対して自分がどういう行動・態度をするかという反応的な自分しか表面に現れてこないのではないかと思います。一人だと、自分がやりたくないことはあえてしないでしょうから、自分の傾向がよくわかります。私が一人旅をすると、朝は怠けてダラダラしてしまうことが多いです。同行者がいれば割と朝早くから活動を開始するものの、一人でいると「ま、いっか」と思ってしまいがちです。日々の生活でも、何か自分を鼓舞するものがないと一人ではキビキビと動けない自分の「ダレ癖」を実感する→「これじゃダメだ」と思ってちょっとがんばる→疲れて(イヤになって/飽きて)休む→はじめに戻る、の繰り返しです。

「気づき」はそのような日常に突然変異をもたらしてくれます。
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# by coast_starlight | 2007-11-04 23:29 | 私のはなし

<日々の出来事> 虫の居所

先週はどういうわけか機嫌が悪く、それが自分でもよくわかりました(今週は普通ですが)。おまけに日曜日にあったフランス語の口頭試験はボロボロの出来で、足切り点には引っかからなかったと思うものの、予想以上に緊張して頭の中が真っ白になった自分が情けなくて落ち込むほどでした。でも日曜日までの不機嫌は何が原因なのかがよくわからず、まさに「虫の居所が悪い」という表現がぴったりでした。特に機嫌が悪かった木曜日の夕方には、部下にも「ちょっと私は今日は特に機嫌が悪かったんだ。だからあなたにムカつきつつも八つ当たりしないように心がけていたんだけど、気づいた?たぶんあなたは悪くないから。私が同じことされたらイヤだから隠さなきゃと心がけていたんだけど…ゴメンネ。」などと弁解していました。私の上長は空腹時に機嫌が悪くなる人で、それはご本人も自覚しておられます。従って私の机の引き出しにはクッキーなどのお菓子が常備されており、夕方になったら「まぁ、これでもどうぞ」といってお菓子をお出しすることがあります。また職場にはコアラや恐竜、ライオンやイモムシなど出張した人がオミヤゲに買ってきたぬいぐるみも各自の机に飾ってあります(人によってはそれが作業スペースを圧迫しているくらいなのですが)。これは触って気分を静めることができるので重要なアイテムでもあります…ある意味、変わった部署かもしれません。

上記の件で思いつく原因としては、以下の二つが挙げられます。

① カルシウムが足りない
② 鉄分が足りない
③ 移動が足りない

①は牛乳やチーズなどの乳製品をとるよう心がけるしかありません。②は、ほうれん草やレバー、ひじきなどを食べていないという意味ではありません。足りないのはキハ38系とかスロネフ25形とか…そっちのほうです。近々小湊鉄道にでも乗りに行こうかと思います。

③はどういうことかというと、先月南アフリカに行って以来一ヶ月以上出張・遊びを含めてどこかに泊りがけで行くということがなく、日帰りでも一度茨城に出張に行っただけでそれ以外は東京23区外はおろか山手線の外にも出ていないのです…。これは非常に珍しい。留学中も毎月一泊二日の小旅行も含めればどこかに出かけていたし、今の部署は国内・海外共に出張が多い部署ではあるのですがなぜか今月は何もありませんでした。11月はあれこれ行く予定があるので、10月よりは気持ちよく過ごせると思います。

でも、最も原因として考えられるのは、留学していた頃と比べて神経使っているからだろうなぁ…と思います。大企業ゆえ、いろんな人の立場を考えて、何を・どういうタイミングで・誰に・どこまで・どういう手段で(メール・電話・直接など)伝えるかをいちいち考えなければなりません。加えて、何を・どういうタイミングで・誰に・どこまで・どういう手段で伝えないかまで考えなければならず、このバランスが非常に難しい。時々何でそこまでしなければならないのか、と思ってしまいます。留学していた頃は同級生か先生かくらいしか立場に違いがなく、そういう意味では今よりはるかに楽だったなぁと思います。懐かしいなぁ。
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# by coast_starlight | 2007-10-29 23:37 | 日々の出来事

<旅行> 南アフリカ共和国/ヨハネスブルグ (その2)

その1をアップロードしてからだいぶ時間が経ってしまいましたが、思い出して書いてみることにします。

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a0079741_23181731.jpg黒人居住地ソウェトを観光するには、ガイドつきのツアーで行く必要があります。ネルソン・マンデラの家とヘクター・ピーターセン博物館は観光客が多く訪れるので安全に観光することができますが、それ以外の場所にガイドなしで行くのは危険すぎます。もっとも、最近は国際協力NGOなどがソウェトのお宅ホームステイ体験ツアーなどをやっていたりするそうですが…。今回は時間がなかったのでマンデラの家と博物館のみ訪れました。マンデラの家では、一定人数が集まるとガイドツアーが始まります。それまでは見学できないので人数が集まるのを待たなければなりません。ただツアーといっても家全体がかなり狭い(2LDK、60平米くらい)ので15分くらいで終わってしまいます。この家は狭いと言っても、当時のソウェトにあった他の家と比べれば立派なほうだったと思います。マンデラは逮捕される1963年までここに住んでいました。獄中生活から開放されてこの家に戻ったときは英雄扱いでマスコミが押し掛けてきたため、わずか10日足らずで他の場所に移ったそうです。今もマンデラは健在で、ヨハネスブルグ郊外の高級住宅街に居を構えています(そこの前も通った)。

a0079741_23191421.jpg次に向かったのがヘクター・ピーターセン博物館という、1976年に起こった大規模な反アパルトヘイト運動の博物館があります。この年、黒人が学校教育で強制的にアフリカーンス語を習わされていたことに対し、抗議のデモが起こりました。アフリカーンス語はオランダ系移民、つまり白人の言語であり、黒人にとってこれを強制的に習わされることは屈辱であったのです。このデモに対して警察当局は発砲するなどして鎮圧しようとし、その最初の犠牲者になったのがヘクター・ピーターセンという13歳の少年でした。写真で抱きかかえられているのがその彼です。しかしこのデモがあってから実際にアパルトヘイトがなくなるまでに15年以上の年月がかかりました。





a0079741_2320577.jpgお昼前にソウェトを後にして向かったのはライオンパークというサファリパークです。本当はもっと本格的なサファリパークがあるのでしょうが、お手軽な観光客向けの(?)場所だと思います。ここに到着した頃ちょうどお昼になったのでガイドのデニスさんとお昼を食べました。デニスさんには奥さんと高校生の息子が2人いるそうです。息子さんは2人ともダーバンの全寮制の学校に入れているとのことでした。話を聞いていると彼は黒人の中でも割と良い暮らしをしているほうではないかと思えました。何でもサントン郊外に一軒家を買い、BMWを2台所有しているそうで、休みにはヨーロッパや東南アジアに旅行し、奥さんも今は働かなくていいくらい生活に余裕があるそうです。じゃあ私のガイドもやらなくていいのでは?と突っ込みたくもなったのですが、やっぱり定期的な収入源は必要なのでしょう。ちなみにデニスさんは株で儲けたと言っていました。南アフリカは経済が良くて、特に通信系の会社の株で儲けたと言われていたような気がします。「株で大事なのは、一度買ったらしばらくは株価をチェックせず放っておいて、何ヶ月か経ってからチェックすることなんだ。」確かに…でも経済が好調な中興国的な考え方かも、と思いました。ライオンパークでは、ライオンの子供にさわることができます。

a0079741_23223161.jpga0079741_23203768.jpgライオンパークに行った後プレトリアに向かいました。プレトリア市街の中心部にある広場には、どういうイベントがあったのかわかりませんが多くの人が群れを作っていました。でもズールー語で何をいっているのかさっぱりわかりませんでした(つまり、集まっているのは基本的に黒人のみ、ということ)。同じ国でも言葉の壁があるんだ…と思いました。その後高台にある大統領府に連れて行ってもらいました。天気が良かったので眺めも非常に良く、ここだけは観光客が多く普通に一人で歩いていても問題ない感じでした。プレトリアからホテルに戻ったのは夕方5時頃でした。その後は一人だったのでホテルに直結するショッピングセンター(くらいしか一人で行けるところはない)にお惣菜を買いに行き、一人で部屋で食べていました。

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次の日はまた国泰航空に20時間乗り、成田に戻りました。途中することがないのでひたすらお酒を飲んで寝ていました。

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# by coast_starlight | 2007-10-24 23:25 | 旅行

<日々の出来事> 誕生日

a0079741_3373886.jpg10月21日は私の誕生日でした。でもやったことというと、午前中にフランス語の検定試験を受けに行ったくらいで(これ自体大きな用事と言えなくもないですが)、その後は自宅でテレビを観たり昼寝したりネットのゲームをやったりと極めて地味な一日を過ごしていました。金曜日に職場の有志の方々が誕生日会を開いてくださったこともあり、誰も何も祝ってくれないという寂しい状況ではないのですが、誕生日が週末に当たってしまって予定がないと、普通の予定のない週末とは違う気分になってしまいます。いっそ平日に誕生日があったほうがよかったかも…。留学中なら他の人がそうしていたように「○日は自分の誕生日だから××でパーティーをやります」といって自分がホストになって何か企画しようという気も起こるのですが、ここは日本だし…ということで人を誘うのもためらってしまい、結局何もせずじまいでした。今週末に限らず10月は今回のフランス語の試験のために毎週末ずっと家で勉強していたのであまり出歩いておらず、平日も徒歩で会社に通っているので、今住んでいる本郷から新宿に行くのさえも遠く感じられるほど最近の活動範囲は狭いです。でも狭いと狭いなりに見えてくるものがあって、それはそれで面白いかもしれません。

ところで今日受けたフランス語の試験では作文があったのですが、こういう試験では手書きなので文章の構成をある程度頭の中で考えた上で書かなければなりません。今は職場でも家でも文章はパソコン上で打つことが多いため手紙を書く機会がめっきり減ってしまいました。でも昔の蓄積があったのか割とうまく文章をまとめることができ、試験もうまくいったような気がします。試験では下書き用紙ももらえましたが結局ほとんど使わずいきなり書いていました。というのも中高生時代は、今と違ってメールもなかったためよく手紙を書いており、その頃から頭の中で考えをまとめてから書き始めることには慣れていたような気がするのです。授業中ノートの紙を破ってクラスメートにあれこれ書いて渡したりというのもよくやっていたし、頭の中で考えをまとめてから文章を書くという機会が今までよりもはるかに多かったような気がします。大学生の頃もまだインターネットがそれほど普及していなかったので手紙もよく書いていたような気がしますが、社会人になってからはなかなか時間がとれないということもあり、人に手紙を書く機会もめっきり減ってしまいました。

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今週末ふと自宅にある「ノルウェイの森」を読み返していました。この本には主人公のワタナベ君や直子、玲子さんの手紙のやりとりが何度となく出てきます。それもモノによってはかなり長い。初めてこの本を読んだのが大学2年か3年生のときですが、その手紙のやりとりを読みながら「こういう手紙を書くシチュエーションって一体…自分にはまずないかも」と思っていました。まず自分にはそこまでの文章力と気力がありません。小説でありながら読んでいると手紙の文面からそれを書いていたときの登場人物の気持ちがひしひしと伝わってきますし、それをうまく作品の中に取りいれ纏め上げた村上春樹の文章力はすごいと改めて感心してしまいました。手紙が出されるタイミングも、すごく早いときもあれば数ヶ月後の時もあったりして、それがストーリー展開にうまく織り込まれています。返事をもらい次第急いで返信を書き速達でポストに投函したという箇所が何度か出てくるのですが、メールだと一瞬で送信されてしまうし…今速達で誰かに何かを伝える目的で手紙を出さなければならない状況ってどういう状況があるだろう?と思ってしまいました。

宮本輝の「錦繍」という、男女の往復書簡そのものが小説になっているものもあります。この作品が発表された時期は「ノルウェイの森」より少し前の1982年です。離婚した男女が10年後偶然旅先でばったり顔を合わせたことがきっかけで女のほうが男に手紙を綴ったというところから話が始まるのでうすが、「こういう設定って現実にあるのか?」と思いつつも、相手と面と向かっていないがゆえに相手と一緒にいたときには伝えられなかった深い部分まで話が及んで整理された状態で相手に状況を伝えられるんだろうな、と思いました。でもこういう手紙って誰のために書いているのでしょうか?私は相手のためじゃなくて、結局は自分のために書くんだと思います。

「長い手紙」から私が真っ先に連想する小説は夏目漱石の「こころ」です。主人公が敬愛する「先生」が、自殺を図る前に主人公に宛てて書いた手紙で第二部の全てが構成されています。しかも第一部の倍くらい量があったと思います。下宿人同士で大家の娘を取り合って自分が恋敵を欺き相手を自殺に追い込んでしまったことによる苦悩をつらつらと書いているところを読んでいると、初めて読んだときは「何てネクラな小説なんだ」と思いつつも、年を経るにつれ「この本が教科書の題材にも指定され長く読み継がれている現実がわかるような気がする」と思うようになりました。この本を初めて読んだのは高校生の頃ですが、長い休みやふと物事を考えるときには読み返す作品の一つです。昨年留学中の夏休みにも読んでいました。

他に私が個人的に好きなのはカミユの「異邦人」で、フランス語をやろうと思ったもともとの動機の一つもこれを原語で読んでみたいというものでした。最近やっと読めるレベルにまでなってきましたが、やはり原語で読むほうが主人公の淡々とした性格(に由来する情景描写)や苦悩が手に取るように伝わってきます。自分の価値判断の軸と世の中のそれがかなりズレていて、それが自分の命をも奪うという状況に陥るのですが、そのズレに起因する不条理と葛藤しつつも自分の軸をぶらさない主人公ムルソーの存在は私から見て迫力があります。ムルソーは殺人で逮捕され死刑になり最後に処刑されるのですが、処刑の前日司祭が「あなたには自分の気持ちが見えていない。私はあなたのために祈ります。」と言った後ムルソーが「お前に何がわかるんだ!」と猛然と怒り出す最後のシーンはそれを象徴していると思います。自分の信じる真実に対して忠実なのです。

ちなみに「こころ」と「異邦人」はインターナショナルスクールに通っていた頃授業で読まされた本です(日本語で)。ここの授業では日本の教科書は使わず、作品を全部読まされ全体的なテーマについて議論し(といっても生徒は私一人でしたが)エッセイを書いたり、別のクラスの人を相手に例えば自然派文学についてプレゼンをしたりという非常にユニークな授業でした。事情があり私はこの学校を途中で辞めたのですが、最後までやっておけばよかった…と大人になってから後悔しています。

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誕生日の日は一人でこんなことを考えていましたが、来週の日曜日にはフランス語の試験の続き(口頭試験)があるので、今週はその準備に励もうと思います。


※21日中にアップロードするつもりだったのですが、どういうわけか夜になってひどい頭痛を起こしてしまい、夜の8時頃からこの時間まで寝ていました。考え事をしていると頭痛がすることがごくたまにあるのですが、こういうときは寝るしか直す方法がありません。
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# by coast_starlight | 2007-10-22 03:42 | 日々の出来事

<話のネタ> 秘すれば花?

先日、ある本の『秘すれば花』という箇所を読んでいて、ちょっと引っかかる場所がありました。どういうことが書いてあったかを大ざっぱに纏めると以下の通りです。

①自分の中で消化し切れていない失敗談や苦労話は言うべきではない。消化し切れていて笑い話として話せるのであれば良いが、怒り・悔しさ・情けなさ・恨みなどが残っている状態で告白すべきではない。そういう場合は友人や身内にではなく電話相談などで匿名で相談すべき。

②友人や身内に自分の弱い部分や醜い部分はあまり見せないほうが良い。自分で消化し切れていない時は、何もかもは言わず、ドロドロした部分は隠しておいて時間が解決してくれるのを待つ。

③不完全で欠点の多い自分をありのままにさらけ出して認めてもらおうと考えるのは不遜極まりない。できるだけそうした自分を見せないで少しでも良く見せようと努力することが人としての品性を高める。いかに表に出さないよう努力するかが重要。

これを読んでいて「う~ん、例えば自分の親がこういう考えの人だったらちょっと子供としては辛いかも。秘密にしすぎて自分でその辛さが結局消化できずに行動や言動ににじみ出てしまったら『秘すれば花』どころか『秘すればサボテン』になってしまうじゃん。」と思いました。これらは仕事やあらゆる付き合いの場で知り合う人やあまり親しくない親戚には当てはまるかもしれませんが、家族だったらドロドロした部分も受け止めてあげようと努める、そういう自分の懐を広く持つよう努力してあげることが愛じゃないの?と思ってしまいました。もちろんそれに甘えず自分自身で消化できる容量を上げるべく努力することも大事ですが、その容量を超える辛いことだって人生多々あると思います。どこまでが自分自身で消化可能で、どこから先は無理かというその「やばさ」を感じ取る直感を鍛え、全部自分で抱え込まずに、そういう時にしかるべき相手にしかるべき形で助けを求められる能力も同時に大事ではないのかと思いました。本当に辛いときは、品性もへったくれもありません。

家族だけでなく、親戚や友人に対しても、相手が本気で自分に何かを相談したいというシグナルを発していると感じ取れば、可能な限りそれを受け止めるよう努力してきたつもりです(こちらからはよほどのことがない限りは聞かないですが)。逆に、今までの人生を振り返ると、私がそういうことを相手に求めてしまった場合もなくはないので、そういう自分が否定されたような気がして少し落ち込みました。なぜなら、さらけ出すのにだってものすごいエネルギーがいるからです。もちろん相手やタイミングは慎重に選びますが、自分のことをわかって欲しいと思う相手に対してそういう努力をするのってダメなの??という疑問をこの箇所を読んだ後に抱き考え込んでしまいました。

しかし留学生活を振り返ってみると、アメリカ人は著者が挙げたような考えを持つ傾向が強いんじゃないかと思いました。パーティーの場などでいろいろな人と会話しましたが、「まあいろいろあって大変だったけど今はハッピーよ、アハハ」という感じで明るく笑っている人が結構いたのが印象に残っています。それでこちらが「それって笑って流せる話か?」と固まってしまうようなことがあったりして…。その一方でカウンセリングを行うセラピスト(臨床心理士のような人)への需要が多いという現実があります。この現実をどう受け止めればいいのでしょうか?

留学中開講されていたセミナーで、自分の家の家系図をつくって分析することにより今の自分について考えるというものがあったのですが、各参加者の告白話の場では、子供の頃父親が自殺したとか他国から移民してきて苦労したとかいう重たい話が結構あって、そこだけよどんだ空気が漂っていました。過去を冷静に見極めるのは辛いけど、一緒にそのよどんだ空気を共有してくれる仲間がいたほうがいいのだろうな、と思いました。同時に、表も裏も全て受け止められる、そういう懐の広さのある自分を目指したい、と思いました。
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# by coast_starlight | 2007-10-08 22:13 | 話のネタ

<旅行> 南アフリカ共和国/ヨハネスブルグ (その1)

國泰航空を乗り継ぐこと約20時間、南アフリカのヨハネスブルグへ用事があったので行ってきました。アパルトヘイト以降ヨハネスブルグの治安は非常に悪く、経済活動の中心地はサントンなどの郊外の街に移っています。これらの郊外にあるショッピングモールやテーマパークのようなところは普通に歩けるのですが、それ以外だと外を歩くのは非常にためらわれます。モール内のお店でも宝石屋などは入り口に頑丈な扉があり、営業中でも店に入りたければ中にいる警備員に開けてもらわなければいけません。今回の宿泊先はショッピングモールに直結したホテルだったので歩いて行けるお店は多かったですが、そうでないとちょっと不便で仕方ないだろうな、と思いました。

a0079741_0195311.jpg土曜日一日空いていたのでガイドつきツアーを現地事務所の方がアレンジしてくださり、いろいろなところを回ることができました。デニスという黒人のおじさんが終日私一人の相手をしてくれたのですが、このおじさんがいないと私はどこにも行けませんでした。朝9時前にホテルに迎えに来てもらい、まずその日の予定を話してくれたのですが「まずヨハネスブルグ中心地に行ってアフリカ伝統医学の薬局を見学、その後カールトンセンターで展望台に登ろう。その後ソウェトのネルソン・マンデラが投獄前に暮らしていた家を見て…」と言われたときは一瞬「ほ、本気かよ」と思いました。でもこのおじさんが一緒なら道もわかっているし車もそんなに新しい車じゃないし外を歩きさえしなければ大丈夫だろうな、とその通りにすることにしました。デニスさんが言うには、やはり治安が悪いのでテナント料を安くしてもテナントが入ってくれず、不法占拠されているビルも多々あるようです。アパルトヘイト時代にあった多くの企業の拠点が治安悪化により郊外に移転したことにより、見た目はそこそこキレイなビルでも中は空洞…というところが多いようです。しかし一部企業や公益法人があえて市内に拠点を戻すことにより経済活動を取り戻し、ひいてはヨハネスブルグ市内の空洞化を改善しようと努力しています。例えばABSAという南アフリカの大手銀行は市内中心部の高層ビルに本社機能を置いていたり、公共交通を運営するトランスネット社はカールトンセンター(展望台があるショッピングセンター)内にオフィスを構えています。毎日通勤する人は大変かもしれませんが…。

a0079741_0121719.jpga0079741_0134148.jpg最初に行ったアフリカ伝統医学の薬局がある場所はあまりパッとしないものの、ここだけは他にも白人ツアー客が多く訪れていました。中にはいろいろな動物や木の皮を乾燥したものが所狭しと置いてあり、動物のはく製も置いてありました。独特のニオイが漂っているものの異臭というわけではなく(よい香りとも言えませんが)、そこに足を踏み入れること自体は特に問題ありませんでした。「君の国の薬局と比べてどうだい?」と言われたので「日本でも漢方というものがあって、動物の皮は聞いたことがないですが植物の皮や根っこは使いますよ」と答えました。

a0079741_0131541.jpgその後カールトンセンターに車で向かったのですが、不案内な状態で一人でここに来るのは危険すぎると思いました。途中「ここ中心部には鉄道の駅とバスターミナルがあり、長距離列車やバスが発着しています」などという説明を聞いても「怖くて乗れないよ」と思いました。あまり顔には出しませんでしたが…。地下の駐車場に入り、エレベーターに乗るまでの短い距離もデニスさんに従いながらも周りをキョロキョロ見ながら歩いていました。黒人ガイドがいればいいのですが(金品がありそうな格好をしていない限り何もないのにいきなり同胞を襲うようなことはしないはず…根拠ないですけど)そうでなければ怖くて行けません。駐在員の方も用事でここに来るときは自分で運転せず運転手つきの車を手配すると言っていました。デニスさんはこの辺の施設の人達と顔が通じているらしく、ズールー語で挨拶しながら入っていったので特に問題はありませんでしたが、私は彼にぴたっとくっついて歩いていました。ちなみにここでは黒人同士は英語ではなくズールー語で話していました。場所によって他の言語も使われており、デニスさんによると南アフリカでは全部で11ヶ国語が使われているようです。白人は英語やアフリカーンス語で話します。カールトンセンターは1・2階がショッピングセンターになっており、入っているお店は私が滞在していたサントンのショッピングセンターのテナントとあまり変わりませんでした。さすがにルイヴィトンなどのブランドものの店はなかったですが。でも人種構成が偏っていて、モール内にたくさん人がいたのですが黒人100人中白人が1人いるかいないか、という感じでした。東洋人は当然ゼロ。でも白人の母娘も見ました。

a0079741_0141396.jpg2階には展望台「トップ・オブ・アフリカ」のエレベーター入り口があり、入場料を払って50階までエレベーターに乗ります。デニスさんによると、ここがアフリカ大陸で一番高い展望台なのだそうです(二番目はエジプトにあるらしい)。しかし東京タワー展望台のようにエレベーターに乗るのに待つことはなく、すぐに乗れました。だって、他に登る人いないんだもん…。そんな訳で恐る恐る登った展望台ですが、眺めは最高!!その日は天気が良かったこともあり、ヨハネスブルグ市内および郊外が一望できました。下にあるショッピングセンターの賑わいとは裏腹に本当にガラーンとしていましたが、それはつまり地元の黒人はここに来てもそれ以外の観光客がほとんど来ないことを意味しているのかもしれません。眺めは良いだけに残念に思いました。カールトンセンターにはその名の通りもとはカールトンホテルがあったのですが、治安悪化により移転を余儀なくされ、隣にあるホテルの建物は閉鎖しています。2010年のワールドカップに向けてあれこれ対策しているようですが、そのときだけ一時的に治安を向上させることはできるかもしれませんが、長期的な治安向上への道のりは長いかも、と思いました。

a0079741_0144646.jpg少々ドキドキもののヨハネスブルグ市内観光の後、ソウェトに向かいました。ソウェトは以前黒人の居住区(タウンシップ)だったところで、アパルトヘイト時代黒人は指定された地域以外を無断で行き来することが許されていませんでした。緑のパスポートのような身分証明書を常に携帯することが義務付けられ、指定地域の外へ出るときはここに許可証をもらう必要があります。デニスさんも子供の頃は持たされたいたようで、自分のサイフから「こういうものだよ」と見せてくれました。「僕は子供の頃ソウェトにいたんだけど、初めてヨハネスブルグに行ったのは16歳のときだったんだ。5キロも離れていないのに。」と言われたときは何て言葉を返してよいかわかりませんでした。

今日は眠いのでこの辺にしておきます。 (つづく)
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# by coast_starlight | 2007-09-25 00:20 | 旅行

<話のネタ> 胃腸を鍛えるには

出張先でひょんなことからあるお医者様と夕食をご一緒することになり(仕事とは全く関係ない)、そこで旅先での下痢についての話になりました。海外に行くとおなかの調子が悪くなるのは、普段と違う食べ物と水を摂取することにより体内細菌の構成が変わるからなのだそうです。このスピードは意外と速く進み、ほんの数日でがらっと変わるのだそうです。そのためこの種の下痢は帰国するとすぐなおるのだそうですが。逆に長く住んでいると体がその体内細菌構成に慣れていって平気になるということもあるそうです。そこで気になって「あのぉ、胃腸って鍛えられるものなのですか?」と聞いてみました。先生の回答はざっと言うと以下の通りでした。

1.下痢をするのは、腸が体に悪いものを排出させようとしているからで、この流れに逆らって下痢を止めようとするのは良くない。過去にO157による食中毒で死亡者が出てしまったのは、医者が抗生物質を処方し体内細菌まで殺してしまい、また下痢止めを出して悪いものの排出を止めるという二つの要因によるものと考えられる。それよりも下痢によって同じく体外に排出されてしまう水分や電解質を補うほうが大事。冷たい水は胃腸を刺激するのでぬるめの水が良い。

(そんなわけで、今後海外に行くときは、ビオフェルミンと粉末のポカリスエットでも持っていこうかと思います。)

2.よく下痢をする人とあまりしない人がいるのは、腸が敏感かどうかの違い。従ってよく下痢をする人のほうが、長期的にみて悪いものを溜め込まないから大きな病気をしないこともある。

3.日本人の場合腸が長くて本来はあまり肉食に向いていない。また腸が長い故に悪いものが長い間溜まってしまう。日本人が他の人種と比べて胃腸が相対的に弱いのはそのせいもある。「胃腸を鍛える」のは無理だが、日々野菜や穀物中心の食生活を心がけ、ヨーグルトを毎日食べ善玉菌を常に体に住まわせておくことが、胃腸の働きを良くすることにつながる。ちなみにここでいうヨーグルトは何でも良くて、それよりも毎日摂取することのほうが重要である。

Tボーンステーキを食べながらこんな会話するのもなぁ…と思いながらも、胃腸が弱いと悩んでいた自分にとっては、非常にためになりなおかつ元気の出る話を聞くことができました。先生、どうもありがとうございました。
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# by coast_starlight | 2007-09-21 13:34 | 話のネタ

<旅行> 上海にて

上海に行ってからもう一ヶ月が経ってしまいました。早いものです。そのときのことを思い出し、自分への備忘録も兼ねて書いてみます。

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<一日目>

夕方、成田空港から中国国際航空(エアーチャイナ)便に乗り上海へと向かいました。成田から上海浦東空港へは約3時間ちょっと。でもいずれの空港も市街地から遠いのでドアツードアでは8時間くらいかかりました。今月末から羽田と上海虹橋空港を結ぶ便が開通すれば、ドアツードアの移動時間は2~3時間くらい縮まると思います。それまで待とうかな、と実は少し思っていたのですが…。チケットを買ったのが2週間ほど前だったので安いチケットがあまりなく、また時期的に空席があまりなく、一番安いエアーチャイナでも8万円くらいしてしまいました。ボーイング757-200の機体はほぼ満席で、日本人観光客とおぼしき人はほとんど乗っていませんでした。しかし私の隣にいた男性2人組は偶然にも日本人でした。入国審査の書類を書くとき筆記用具を忘れたことに気づき、その方達が英語がほとんどわからない様子だったので「何が書いてあるかご説明しますから、その後ペンを貸してくださいませんか?」とお願いし、ペンを貸してもらうついでに少し雑談をしていました。

「中国は初めてですか?」

「いや、三回くらい行ったことあるけど、毎回食事はあんまり楽しくないねー。日本からカップめん持ってきているし。」

「私は初めてなんですけど。胃腸あまり強くないんでお腹壊すかもしれませんね。ところで空港から市内へはタクシーで行こうかと思っているんですけど、どれくらいかかりますか?」

「いつも迎えに来てもらっているからよくわからない。ところで今回買ったチケットはいくらだったの?」

「8万円しました。これが高いのか安いのかよくわからないのですが、どう思いますか?」

「高いと思う。俺らは4~5万円でとったかな。」

「確かにもっと早くとれば安くあげられたのだとは思いますが。上海ではどういうところが見所だと思いますか?」

「上海もあんまり遊べるところないんだよね。女も買えないし。その辺すっごく厳しいから。」

「はぁ…そうですかぁ…」

それって私に話すことか??と思いながらこう返すしかありませんでした。このおじさんたちは一体何者だったんだろう…。

そんなわけで夜中の12時頃上海に到着した私は、恐る恐るタクシー乗り場でタクシーを拾い、行き先を中国語で書いた紙を運転手のおじさんに見せて目的地へとたどり着きました。到着したのは徐家匯というところにある(おそらく)外国人向けのマンションで、見た目は結構高級そう。21階の部屋にたどり着くと、彼が出迎えてくれました。

「あぁ、よく来たね!」

「この前は運が悪かったよね。私がボストンを発った日に連絡くれていたみたいで、すれ違いになっちゃって。」

その日は遅かったので、私は挨拶もそこそこにすぐシャワーに入って寝てしまいました。

ちなみに「余分な部屋があるからそこにいればいいよ」と言ってくれてはいたものの何となく一人では行く気になれず、もう一人韓国系アメリカ人の女友達(ケネディスクールの同級生)を誘い彼女もそこに滞在しました。単なるルームメート的感覚で「家に泊まりなよ」と言ってくれたのだろうと思うし、長い友達付き合いから何もあり得ないということはわかっていますが(私もその辺理解するのに十分年をとっている)、同性の友達を誘わないと行く気になれなかったところに「やっぱり自分は日本人なんだなー」と思いました(カルチャーの問題というより、個人の感覚の問題かもしれませんが)。あとは、彼女も彼と同じファンド関係の仕事をすることになっていたので、同じ業界だしいろいろ話も合うんじゃないかな、と思ったからというのもありました。いずれも、留学していなかったらおそらく会うことのなかっただろう人達です。


<二日目>

a0079741_22282850.jpg前の日の到着が夜遅かったこともあり朝10時くらいまでボーッとしていたのですが、友人が「新天地に行こう」と言うので連れて行ってもらいました。新天地(シンタンディー)は古い建築を残しながらもスターバックスなどのカフェやレストラン・お店が入っているところです。そこで軽く食事をして散策した後、彼が勧める飲茶の店に連れて行ってもらいました。でも残念なことに私はそこでちょっとお腹をこわしてしまいました。おそらく「ウェルカム・トゥー・チャイナ」の軽い洗礼を浴びたのだと思います。

ところで私は漢字が一通り認識できるものの(簡体字なので限界はありますが)中国語で何と読むかはわかりません。一方、彼は中国系アメリカ人で中国語を話すことはできますが漢字が読めません。音だけでちゃんとわかるんだ…とかなり不思議な感じがするのですが。従って私の持っているガイドブックにある通りの名前や地名(漢字でのみ書かれている)を伝えるときに非常に苦労しました。従ってこの日私達が行ったところが新天地だということがわかったのは、家に戻ってガイドブックを見返してからでした。

昼は家の近くにある足裏マッサージ屋を勧められたのでそこに行きました。60分で1500円くらいと、日本の4分の1!地元の店に行ったらもっと安いかもしれませんが、腕前や清潔感が気になるところ。今回行ったゴールデンリゾートというところはあまり宣伝をしていないためか、ホテルのスパのような雰囲気でも手ごろな値段でお得な気がしました。


<三日目>

a0079741_22291045.jpg午前中からどうも体の調子が悪かったので「ごめん、何か体調悪いから寝ててもいいかな?」と言って昼間は一人で部屋で寝ていました。彼は既に仕事に行っていませんでしたが、もう一人の女友達がそろそろと起きてきて「大丈夫?」と気遣ってくれました。そこに突然家の鍵を空けて女の人が入ってきてビックリ!週3回メイドのお姉さんが掃除や洗濯をやるために来るのだそうですが、その間は何か落ち着きませんでした。確かに部屋はホテルのようでやけにキレイだし、でもそういうことを彼がまめにしているとも思えないので、妙に納得がいったのですが…。私も家事があまり好きなほうではないので、家事をやってくれる人がいればなーと思うことはありますが、全く人任せにするとなると何か躊躇します。たぶんそういう自分がイヤなんだと思います。仕事で時間をとられて真面目に家事をやるヒマがないときもありますが、そうでなければある程度はやるし、生活している時間の中の一定割合は家事に使わないと自分の中の「人間らしい生活」の定義に合わないような気がして落ち着かないのだと思います。とはいえ本当にこういうメイドサービスを頼んだら、楽チンでやみつきになってしまったりして。そのうち彼が戻ってきて「これサンドイッチ買って来たよ。(私が「ツナサンド買ってきて」と頼んでいた)僕は彼女をどこかお昼に連れて行くから」と言って二人でどこかに行ってしまいました。昼の3時くらいに戻ってきた彼女に聞いたら飲茶に行っていたそうです。

夕方は彼女と再びマッサージ屋に行き、至福のときを過ごしました。その後どこかのベトナム料理屋に夕食を食べに行き、川のふもと(英語ではbundという)で彼と合流し3人でお酒を飲みに行き帰宅しました。


<四日目>

a0079741_22293855.jpg彼は何かやることがあったらしく、女友達と二人で蘇州に行きました。上海駅(旧駅)から特急列車で行ったのですが、まず切符をとるのが大変でした。切符がとれるかどうか気がかりということで私達より早く起きて彼は上海駅に先に切符を買いに行ってくれたのですが、行きは良いものの帰りが夜9時半発のものしかとれず、蘇州へ長く滞在することになってしまいました。蘇州では何と言ってもタクシーを拾うのに一苦労。タクシー乗り場はものすごい人だし、誰かが降りているところにすかさず入り込むくらいの図太さがないと日が暮れてしまう、と思いました。そんなわけで短距離のときに利用したのは人力車!でもよく考えたら日本の観光地でも環境対策でベロタクシー(自転車あるいは人力車のタクシー)が出始めているし、実はこれって時代の最先端?と思ってしまいました。でも二人で乗っていると、暑い中一生懸命自転車こいでいるオジサンが結構気の毒に思えてしまいました。それが仕事なんだとはわかっていても、です。彼女は後でこのオジサンと一緒に写真を撮りたい、と言い出し、これにはオジサンもビックリ!私は撮らなかったですが、彼女にはいい記念写真になったのでしょうか。

a0079741_2230385.jpg蘇州にはいくつかの庭園があるのですが、そのうちの一つにしか行く時間がありませんでした。でもそれでもだいぶ満足でした。庭園でボケーッとして彼女と留学時代の話をしたり、お互いの今後のことについて話したりと、有意義な時間を過ごすことができました。彼女とは7月に一緒に駒込の六義園にも行き、そこでもいろいろおしゃべりしていたのですが、環境が変わると話す内容も微妙に変わっていたような気がします。

帰りは庭園から駅まで行こうとするもこれまたタクシーがつかまらず、バイクタクシー(タイでいうトゥクトゥクみたいなもの?)で駅まで向かったのですが、これが超スリル満点で一瞬死ぬかと思いました。大通りは車道とバイク・自転車専用道に分かれているのですが、バイクタクシーはいずれも通れるらしく(と運転手が勝手に解釈しているのかもしれませんが)、両方の間を頻繁に車線変更するので、この二つの道を隔てる街路樹に何度かぶつかりそうになりました。他の自転車やバイクにもすれすれのところで当たりそうになるし。遊園地のジェットコースターよりも冷や汗かきました。

a0079741_22304368.jpg駅に着いてから列車が出るまで2時間くらいあったのですが、他にどこへ行く気力もなく、とりあえず近くの店で晩ごはんを食べてそこで待とうということになりました。駅前とはいえそんなにお店があるわけでもなく、私達は仕方なく水餃子のチェーン店みたいなところを見つけてそこで水餃子(メニューがそれしかない)とお茶を頼みました。超ローカルなお店で彼女はあまり食べる気がしなかったのか、「一応食べるそぶりはするけど何か食欲が出ない」と言ってほとんど食べていませんでした。私は「え、結構おいしいじゃん」というノリで彼女の分も全部食べてしまいました。黒酢をつけて食べる水餃子の味はそんなに悪くありませんでした。でも全部食べたのは、もったいないという気持ちよりも、そのまま下げられてこの残飯を誰かが食べるのかと想像するとそれがたまらなくイヤだったからだと思います。お店には、空のペットボトルを目当てに歩き回るホームレスらしき人もいました。この人達と比べれば私達はかなり良い暮らしをしているのだな、と今更ながらに思いました。

発車30分前くらいに駅構内に入り、お目当ての列車の待合室で待っていたのですが、カップめんを食べている人が多いからか待合室が何か臭う。何と待合室でお湯がもらえるのです。中国の人は基本的に温かいものしか食べないと聞いたことがありますが、これにはビックリ。それにしてもどこも人人人…で気疲れしました。そんなわけで夜11時くらいに家に戻ったときはもう心身ともにクタクタ。友人にも「地元民がするような観光ツアーをしてしまったね」と言われてしまいました。



<五日目>

再び女友達と二人で上海市内観光をしていました。私は中国語会話力ゼロですが漢字の意味は何となく理解でき、彼女は中国語が少ししゃべれるということで、二人なら何とかいろいろ回ることができました。行ったのは豫園(庭園)と東方明珠塔(パールタワー)にある歴史博物館。東方明珠塔のある浦東(プドン)に行くには、地下鉄かタクシーで川を越えるか地下トンネルを走る観光ゴンドラに乗るかのいずれかですが(バスでも行けるのでしょうが我々にはその能力がありませんでした)、とにかく暑かったこともあり歩くのがおっくうで、タクシーもなかなかつかまらなかったので観光ゴンドラに乗りました。これが超不思議な演出をしており、ディズニーランドのスペースマウンテンに乗っているときに見えるタイムトンネルのような人工的照明で、「何でたかが川の反対側に行くのにこんなに派手にしているんだ?」と突っ込まずにはいられませんでした。

a0079741_22312317.jpg上海歴史博物館は、ガイドブックではあまり大きく取り上げられていませんが、個人的にはオススメです。蝋人形や各種模型を通じ上海の歴史を知ることができます。ただ1930年くらいで止まっているのが気にかかるところですが。博物館を出た頃には既に夜の7時になっており、偶然にも何か催し物をやっており、こんな曲芸も見ることができました。こういう曲芸をできる人が無料イベントでも出てくるところが「さすが上海雑技団を擁す上海だな」と思いました。

最後の晩ということで我々3人+彼の友人の4人でラピスラズリというお店に食べに行きました。ここは租界時代にフランス人が住んでいたエリアにあるレストランで、昔の邸宅を改造した雰囲気は悪くなかったのですが、食べ物が高い!!しかも店員の愛想もあまりよくないし…。一人当たり5000円くらいして、思わず「東京のほうが同じ値段でももっといいもの食べられるよ」とつぶやいてしまくらい残念な思いをしました。

ところでレストランで食事をすると店が発行する領収書とは別に公的なレシート(収入印紙に近いかも)なるものが発行されます。例えば食事代が150元だったら100元レシート1枚+50元レシート1枚といった感じで、定額のレシートを複数枚組み合わせてもらえます。これにはスクラッチくじがついており、当たる確率は低いですがキャッシュバックのチャンスがあるそうです。このくじはおそらく客がちゃんとレシートを受け取るためのインセンティブなのだと思います。この公的レシートの目的はお店が帳簿を不正につけないようにすることのようですが、交際費などの経費処理をする際もこれが必要になるのだそうです。



<六日目>

彼女は朝早くの便で北京経由ソウルへと旅立っていきました。私はまたまた体調を崩してしまい、午前中は部屋で寝ていました。朝彼女を見送るときに彼が「何か食べ物でも買ってこようか?」と言うので「うぅん…パンか何か買ってきてくれるとうれしいな」と言うと彼が買ってきたのはマクドナルドの朝ごはん!「パンケーキとかだったら食べられる?」とは言うのですが、おいおい、胃腸の弱い私にそんなもの食べさせるなよ…と少し思いました。いや、買って来てくれたことを素直に感謝すべきなんだろうけど、何かズレてるよなー。

結局昼前まで部屋で休み、昼ごはんを近くの「日本食屋」に食べに行ってから空港に向かいました。「この店は僕の友達が勧めていたところなんだけど」と言うけど、日本人が勧める日本食屋ならともかくねぇ…。お店はオーダービュッフェ方式で、決まった値段を払ったらメニューにある好きなものを何でもオーダーできるという形式でした。私は100元(1500円)くらいしたにもかかわらずオーダーしたのはししゃもやとろろ、ゴハンに野菜と元が取れないようなものばかり。まあ代わりに彼が刺身などを思いっきり頼んでいたから(彼は身長190センチほどあり体格も良く、ビュッフェの時は恐ろしいほど食欲旺盛であることは前から知っている)二人で割れば100元分かな、と思いました。

空港までタクシーで行き無事エアーチャイナ便に乗り成田空港に着いたときには、妙な安堵感を覚えました。「もう当分はいいかな」と思いつつもまた行くんだろうな、たぶん。毎日あれこれハプニングがあって、それはそれで楽しかったし。今月末から羽田~上海虹橋便が飛ぶようになれば上海に行くのもだいぶ楽になると思います。上海へは2万マイルで行けるし。その前に、もっと胃腸と体全体を鍛えておいたほうが良いかも…。


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今週は、彼のふるさとに出張です。とっても遠いです。

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# by coast_starlight | 2007-09-17 22:35 | 旅行

<旅行> 仙台・山形/温泉と芋煮会に行く

この前の日曜日、山形で行われた「日本一の芋煮会」イベントに行ってきました。これは毎年9月の第1日曜日に山形市内の馬見ヶ崎河川敷で開催されるイベントで、直径6メートルおよび3メートルの超大なべでしょうゆ味・みそ味の芋煮がつくられ希望者に振舞われるというイベントです。


a0079741_0155821.jpg平成元年から始まったこのイベントは今回で19回目を数え、今や山形の風物詩となっているそうです。この芋煮を食べるためにわざわざ遠方から参加する人も多いらしい。私はもともとこの週末に仙台と山形のほぼ中心にある作並温泉に行く予定をしていて、偶然その日に芋煮会があるということを同行者が調べていたため「じゃあ行こう」ということになり行くことにしたのでした。






a0079741_017148.jpga0079741_0163331.jpg東京駅で集合し、新幹線で仙台に昼頃到着しました。その後牛タン定食を食べ瑞鳳殿や青葉城址といったよくある仙台観光をした後仙山線で作並(交流電化発祥の地、らしい)に向かいました。帰国以来このような温泉宿に行くのは初めてで、広瀬川を眺めながら露天風呂につかっていると「あぁ、日本に帰国したんだなぁ」と遅ればせながら実感しました。




a0079741_0172938.jpg次の日仙山線で山形へ行き、芋煮会会場に向かいました。6メートルの鍋でつくる芋煮は、何とショベルカーを使って「調理」されます。このショベルカーは毎年未使用のもの(おそらく重機会社にお願いして納入前のものを一時的にレンタルするのだと思います)を準備し、芋煮をつくる前は使う油も食用油にすることにより衛生面に配慮しているのだそうです。ショベルカーを操っている人を含め調理スタッフは皆ツナギを着ていて料理を作っているように見えないのが笑えました。この芋煮をもらうには会場で300円払ってチケットを入手し、整理券ももらう必要があります。大体待ち時間は1時間~1時間半くらいだと思います。ちなみにもう一つの直径3メートル鍋で作られているみそ味の芋煮は整理券なしでほぼ待たずしてもらうことができます。個人的にはみそ味が好きなのですが、せっかく来たのだからということで両方もらってしまいました。


周りは知らない人ばかりなのに、皆同じものを食べているという妙な一体感が感じられ(同じ鍋の芋煮を食べているという点で共通している)、芋煮もおいしかったので(東北だから味付けが濃かったけど)非常に満足感の高いときを過ごすことができました。一家団欒には家族が皆同じものを食べることが重要だとどこかで読んだことがありますが、その理由が何となくわかるような気がしました。

ちなみに会場では「災害援助時に大量のお米を短時間で炊くことのできる機械」をPRするためにオニギリが無料配布されていたり、チキンラーメンもタダで配られていたので、待ち時間の間にこういうところに並んで待っている間の退屈さと空腹をしのぐことができます。冷静に考えたらチキンラーメンもおにぎりも100円前後で買えるのに、タダでもらえるということになると15分~20分くらいの待ち時間があっても並んでしまうんですね、これが。人間の心理って不思議だと思いました。また会場には「大鍋宣隊イモニレンジャー」なる正義の味方(何に対して戦っているのか今ひとつ不明)が会場内を歩き、子供と握手したり写真撮影に応じたりしていました。

a0079741_018021.jpga0079741_0181880.jpg食べた後の容器はリサイクルされるのだそうです。その方法はというと、容器内側に貼られている薄いフィルムをはがし、はがしたフィルムのみ捨て、容器はまとめて回収するのです。








芋煮会の後山形から再び仙山線で仙台に戻り、帰りの新幹線の中で駅弁を食べて…という食べてばっかりの旅行でした。

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ところで帰国以降あまり記事を書けていません。書きたいことはあれこれあるのですが(上海での話もまだ書いていないし)、文章にすぐにまとまらないのです。留学中と違って日本語で生活しているのに…かえってそのほうが雑念が入るからかも。確かに平日の昼間は会社にいて全然違うことを考えているので記事書きに割ける時間および頭のメモリが留学していた頃と比べて少なくなってはいるものの、要領よくやればその辺は克服できると思うので、要はやる気の問題だと思います。先月引っ越した新居もだいぶ片付いてきてモノも揃い落ち着きつつあります。先週はカゼと下痢を併発し会社を休んだりしていましたが、やっと回復しました。そんな訳でまたあれこれ書きたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
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# by coast_starlight | 2007-09-05 00:20 | 旅行

<旅行> 上海行き

しばらくぶりの記事となりますが、それまでの間何をしていたかというと、平日は会社に行き休日は引越しを含めモノをあれこれ買ったり家の中を整理整頓したりしていました。大小さまざまな出来事があるにはあったのですが、とにかく体がだるくて(夏バテの可能性高し)帰宅後10時頃には就寝しないと体がもたない日々でした。従って何か記事を書くという気力すらありませんでした(今でもあまりない)。7月以来ドタバタしていたのでたまった疲れが出たのかもしれません。先週末から会社は休みに入っており、土曜日夜から昨日まで帰省して家でゴロゴロしていました。夏休み後半の今日から来週月曜日までは上海に行きます。今となってはもう少しゴロゴロしたかったのですが、飛行機のチケットを買ってしまったから行くしかありません。う~ん、何で自分から望んで疲れに行くのか、と少し自分のことがよくわからなくなることがあります。

それはそうと何で上海なのか?私自身中国にはそんなに関心が高いわけではないのですが、上海にいる友人が「上海来ない?」と言ってくれている(そういう間に行ってしまうべき、というのが自分の考え方である)のと、前回の記事に書いた同級生が同じ時期に中国に旅行する予定だと聞いたので「そうだ、上海、行こう」というノリでその場で行くことを決めてしまったのでした。行った先で何をするかは…全く決めていません。とりあえず飛行機のチケットを7月下旬に買い、宿は友人が広い家に住んでいて空いている部屋があるからということでお世話になることにし、あと昨日ガイドブックを買ったくらいで、全然準備はしていません。こういう予定をあんまり立てていない旅行も久しぶりかも。今までの旅行は割とちゃんと事前に細かい予定を立てていたことが多いので。

中国語能力が基本的にゼロの私のために友人が中国語で書いてくれた道順(これをタクシーの運転手に見せればいいということ)を頼りに、もう少ししたら家を出て成田空港に向かいます。一体、どうなることやら…。それではまた。
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# by coast_starlight | 2007-08-15 14:43 | 旅行