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<授業のはなし> 期待-実際の行動=罪悪感

今学期とっているリーダーシップの授業が本格的になってきました。毎週木曜日の授業では、その週に行われた小グループでのディスカッション結果について全員の前で話すことになっています。どのグループが当たるかはくじ引きで決まります。グループは14あるのになぜか先週・今週と私たちのグループが当たってしまいました。先週(初回)は単なる顔合わせに近いミーティングだったので全員が大教室の前に出て各々がグループおよび初対面だったメンバーについて語るという内容で特に難しくはなかったのですが、今週からはグループのうちの一人がリーダーシップの失敗事例について話すことになっており、今日は今週の発表者が大教室の前で話をしていました。今回のケースは大まかに言うと、フランス人エンジニアの発表者がカザフスタンでのプロジェクトに従事した際、プロジェクトのために雇用したロシア人スタッフがディスコで女性に対する不祥事を起こしたため彼らをクビにしなければならず、それが原因でこのような異なる文化背景のスタッフが入り混じるプロジェクトの成功に不可欠なcultural integrationに失敗したという話でした。彼自身そのスタッフとそれまではうまくやっており、また仕事もできる人だったので、クビにしなければならないのが辛かったということでした。

今日の授業で先生が言われたことでガツンと頭を打たれたようなショックを受けたのが、上記タイトルにある概念です。確かこんな表現で言われていたと記憶しています。

Guilt is the difference between what you are expected to do and your actual behavior.

自分の属する家庭や国・宗教といった背景から自分に対して期待されている役割と実際の自分のとる行動が異なるときに人は罪悪感を感じるということを先生はおっしゃっていました。この差が大きいほど感じる罪悪感の度合いが大きいということです。もちろん感じ方には個人差があると思いますし、何で罪悪感を感じなければいけないの?と思える人もいるかもしれません。そういう人は幸せだと思います。でも私にとってこの先生の一言は衝撃的でした。

そもそも自分への期待とは何なのでしょうか?例えば仕事ならある程度はっきりしていると思います。私が日本で働いていた会社では職種・階級別に従業員に期待される役割が明文化されています。(余談ですが、この言語化する作業は結構大変だったそうです。)しかし家庭や国だとかなり漠然としています。でも漠然としているからといって期待される役割がないわけではありません。例えば私の場合だと日本人女性として、京都に生まれ育った人間として、今いる親の元に生まれた子として、ケネディスクールで学ぶ者として、その後卒業生として…などなどに由来する、周りが期待する役割があると思います(この「周り」というのが曖昧模糊で曲者なのがこれまた問題なのですが)。また、その期待の大きさは実際に「周り」がかけてくる期待の大きさに加え、それを各個人がどう受け止めるかという性格にも左右されます。

今回の発表者の場合、プロジェクトマネージャーとして期待されていた役割に加え、フランス人として、また彼の家庭環境などから期待されていた役割というものがあり、彼個人としてそれに応えられなかったという罪悪感もこの経験が失敗だったという認識につながっているのだと思います。一方、不祥事を起こしたスタッフをクビにしたという決断は必ずしもリーダーとして間違った決断ではなかったと思います。従って今日の授業でも「これってリーダーシップの失敗事例なの?」といった意見を述べる人も何人かいました。しかし彼自身が失敗だと思い罪悪感を感じているのだから、「罪悪感を覚える彼」がなぜいるのかを分析しなければなりません。(この分析結果をレポートにまとめるのが今週末の課題)

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では、罪悪感を感じないためにはどうすればよいのでしょうか?上記の式だけを見たとき考えられる方法としては、以下のような方法が考えられると思います。

1 期待と実際の行動を近づける(罪悪感→0)
2 期待レベルを下げる(罪悪感→マイナス) 
   ※罪悪感がマイナスということはおめでたい度が高いということでしょうか?何ともいえませんが…。
3 期待を期待と感じない
   (∵罪悪感は自分の認識から生まれてくるものだから期待を期待と感じなければ(当人から見て)期待がないことと等しい…はず)

この中で2は相手あってのことなので自分ではどうにもなりませんが、1と3は自分でどうにかなります。場合によっては、1が可能であればもう既に自分の行動を変えているでしょうから、1を行うことは精神衛生上必ずしも良くない(∴自分の行動を今まで変えていない)かもしれません。そうすると残された選択肢は3ということになります。期待を期待と感じないためにはどうすればよいか?要は人の言うことを気にしないというか、額面どおり受け止めずその発言の背景をひたすら分析して自分自身の気持ちに折り合いをつける作業を行うことだと思います。頭でわかっていても、これが難しいんだな…。

こんなことを考えていたら、また眠れない夜が続きそうです。
by coast_starlight | 2006-10-06 13:12 | 授業のはなし


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